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BL、生活、その他いろいろ

31歳を目前にして、双極性障害のこと

双極性障害だと分かってから10年近くたった。膝を怪我したりして体の調子は悪いけど、心の調子は最近悪くはないと感じている。昔みたいに、何かのきっかけで涙が止まらなくなったり、かと思えば動き回りたい衝動が抑えられなくなったり、そういう激しさは、あまりない。

 

ただ、この「凪」が、加齢から来るものなのか、薬の服用によって起きているものなのかは最早わたしには分からない。

前の病院で、よく担当の先生からは「この病気は若いときがつらいよ、30歳くらいになったら落ち着くから」と言われていた。言われていた時は、30歳なんていつまで待てばいいんだよ、と思っていたが、意外とその時は早く来たし、実際そのとおりになっていて、そのことをよかった、と思う。一方で、昔の自分の感受性の豊かさのようなものまですっかり失ってしまったように思えることが、残念でたまらない。よく、うつだと創作意欲が失せるというが、わたしはそれに加えて悲しむ力や喜ぶ力、怒る力なんかも失せてしまっていると感じている。

 

減薬すれば、この行き過ぎた「凪」の状態からは脱せるのだろうか。これからの課題はそこなんだろうなと思っている。

 

今10代とか20代とかで、わたしと同じ病気に苦しむ人に、もう少ししたら楽になるよ、と安易には言えない。30代の今にも、また違った悩みがあるからだ。それに、将来変化があるからって、今の苦しみはなくならない。でも、変化が訪れると希望を持つことが全然なんの役にも立たないとも思わない。

それと、若いときの時間を病気によって無駄にしたと感じるかもしれない。その気持ちはわたしにもあるし、未だ消化しきれてないからポジティブなことは言えないけど、「人並み」で過ごせなかったからと言って意味がない、ということはない。

どのような形であれ、自分が過ごした時間は必ず意味を持つし、意味がなかったと感じていることもまた意味のあることになっていくから、もし今すぐに意味を感じることができなかったとしても、その時の気持ちや経験は捨ててしまわないで持っておくことが大事だと思う。

追記:わたしが「意味を持つ」というのは、過ぎていった時間が何かを生み出したということではない。むしろ、わたしの20代は出来ないことが多くて何も生み出せないままただ流れていった時間のほうが多かったと思う。でも、何かを生み出せなかったからといって、わたしの価値(人に評価されるという意味ではない)が損なわれたか?というと、損なわれなくて、それがちゃんと分かったことが良かった、という意味で、意味があった、と書いた。何かに絶対に意味をもたせたり、価値を見出そうとする傾向があまり好きではないので、自分の人生に「意味」とか「価値」とか言うのはなんかなあ、と思うんだけど、なんというか、「わたしはどうあっても損なわれない」ということが分かったことを良かったと思っていると伝えたかった。

 

つらいとき、周りの人や、世界、自分の体からまでも見捨てられていると思ってしまっていた。でも、そんなことはなくて、いつだって世界は自分とともにあるし、自分の体は自分と仲間なんだなということが最近分かってきたので、多分わたしは回復していっているんだと思う。

今つらい人に対して、つらくても、そっか、とわかって救われるときが来るから、落ち込まないでほしいと思うし、これから先の自分に対しても、今以上に救われるときが来るに違いないと思って、31歳からの生活をスタートさせようと思う。

 

もう31歳か、早いな〜。