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BL、生活、その他いろいろ

詩をよむ

最近とても良かった、感動するくらい良かったことがある。それは詩を楽しめるようになったことだ。

今まで詩というと、義務教育で触れたことはあるけど、なんかぼんやりふんわりして要領を得ない文章、ぐらいの認識で、読んでいて楽しいなと思ったことがなかった、という程度の馴染み具合だったのだが、あるきっかけで詩を楽しむことを知った。

そのきっかけというのが、茨木のり子の詩集である。NHKのサイトで、茨木のり子特集をやっていて、それを読んだのがはじめのきっかけだった。韓国語を学んで韓国語でも詩を書いていたという文章を読んで、ふーん、そういえばこの人の詩って昔読んでびっくりしたな、と思いだした。
その詩というのは「自分の感受性くらい」なのだが、いきなり「ばかものよ」と叱り飛ばされたのが衝撃的だった。それまでの詩のイメージは、前述の通りふわっとしたもの、というものだったから、こんなにストレートな物言いをするんだ!?という驚きと、えっ詩に叱られてしまった!?という驚きが当時あった。
そのことを思い出して、茨木のり子に興味を持ち、詩集を一冊読んでみようかな、と思い立ったのである。

最初は読んで楽しめるかどうか分からなかったので、ひとまずベーシックなものを図書館で借りるのがいいだろうと思い、岩波文庫谷川俊太郎選「茨木のり子詩集」を借りてきた。

すべて読むことはできなかったのだが、最初の方を読むだけでももうこれは面白いとわくわくするような、今までの苦手意識を吹き飛ばすような、そしてわたしの凝り固まった価値観を爽快に覆していくような、そんな詩が沢山詰まった本だった。

特に前半部分で良かったものの内の一つで、みんなにおすすめしたいのは、「女の子のマーチ」という詩だ。

パパに、女の子は体の中に大事な部屋があるから暴れずに静かにやさしくしていなさいと言われ、おばあちゃんに魚をきれいに食べないと嫁に行っても返されると言われた子が、なんて痛快な返事をするのかと、読んでいてせいせいした!!

短い詩なんだけど、女の子がよく言われることに対して、そんな呪いの言葉に縛られなくてもいいよと示してくれる力強い詩だと思った。


茨木のり子の詩は、今まで詩と言われて想像していたふわっとしたものとは全く違っていて、力強く、メッセージ性が強く、意志がはっきりしている。どちらがいいのかとかそういうことではなく、わたしの想像とは違っていたので新鮮だということなのだが、どうもわたしに合っているのはどちらかという話をすれば、茨木のり子のような詩の方が好きだ。

図書館で借りた本は期限内に読みきれなかったので、自分で一冊買った。美しい言葉たちの羅列が自分の手に入ったと思うととても嬉しい。これから少しずつ読んでいって、少しずつ楽しもうと思う。