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BL、生活、その他いろいろ

わたしの愛するぽよぽよお肉ちゃんの話

 ひとつ前の記事、「熟女になるまで待・て・な・い♡」で、現在のわたしの体重は88キロであると書いた。完全にメタボリックである。この前病院での定期検診で出た中性脂肪の数値はアウトゾーンだったし、最近内科の先生にも注意をされたところである。


運動不足と過食による肥満なので、健康に悪いのは分かっている。しかし、わたしは今、自分の体に付いているお肉ちゃんたちが愛おしいのだ。


コンビニで食べ物を買い込んではひたすら食べるという生活をしていたが、一食にかける食費は馬鹿にならなかった。普通に現代で暮らす人間が必要とする以上の量、カロリーを摂取しているため、胃もたれがひどかったり、お腹を壊したり、色々あって、その結果のお肉ちゃんたちである。

完全に精神的な不調や周囲からの圧力によるストレスが原因の自傷行為であるため、太った経緯に関しては絶対に真似しないでください、ただただ辛いだけなので、というかんじなのだが、「太った」という結果だけを見てみると、今わりとハッピーなのである。



というのも、これまた前回の記事で書いた通り、太って、不健康そうで、かわいらしい服を着られなくなったわたしは、「若い女」とは少し、ほんのちょっとだけだけど、違う存在になれたみたいだからだ。



具体的に、「若い女」というものがなんなのか、自分の体重の推移と体験を元に書いてみたいと思う。

まず、わたしは18歳くらいまで、「痩せてる」と言われたことはなかった。義務教育のなかで、定期的に受ける健康診断によれば、わたしの身長と体重は大体「標準」だった。背は少し高い方だが、体のバランスが悪く、足がめちゃめちゃ短いので、あまり「スッとしている」雰囲気もなかった。
世の中の「痩せてて」「スッとしている」人というのは、「健康体重」ではなく「美容体重」のなかでも、細い方にいる人たちだ。「健康体重の面からすれば普通、健康」というのは、世の「美」からすれば「太っている」ということになる。
そのギャップに苦しんでいた時期もあった。健康ならそれでいいじゃん、でも太ってると言われるのも嫌だな……。結局ダイエットはだるいからという理由でしなかったので(運動も好きではないけど、「かわいくなるために」運動していることに対する親や友人の反応もだるかった)、わたしは18歳くらいまでは「垢抜けない」「デブ」、ということになっていた。また、「垢抜けないデブから脱そうともしない女」というのはあまり評価されないので、親からも容姿を誉められたことはないし、同世代の人たちから「恋愛対象」として見られることもなく、まあそんなもんだよな~特に自信があるところもないし、ルックスと、そこに結び付きやすいジャンル(恋愛など)においては、自分は軽んじられるのが当たり前だろう、と思っていた。
元々男尊女卑がきつい環境で育ったため、美人であっても愛想よく生きろ、ブスはブスという欠点がある分美人よりもさらに努力せよ、とかいう風潮もあった。もしくは、「勉強ができるならブスでも仕方ないね、でもあんまり賢すぎると嫁の貰い手がないよ、ただでさえブスなのに」ぐらいの感じだった。
わたしは幼い頃から「女に産まれた段階で損した」と思っていて、「結婚や出産はしない、キャリアを積んで金持ちになって、男にひけをとらなくなりたい」という気持ちが強かった。それから、美人は美人で嫌な思いをするんだな、というのを目の当たりにしてきたので、「美人も損だな」と思っていた。とにかく見た目や愛嬌で判断する人間も社会も、全てが嫌だったので、見た目に頓着しないでおけば、周りもわたしの見た目に頓着しないだろうと思って過ごしていたんだけど。

18歳ぐらいのとき?にうつ(のちに双極性障害)の診断が下り、投薬治療をはじめたのをきっかけに、体重が一気に20キロくらい落ちた。ご飯がほぼ食べられなくなったからだ。毎日吐く……死ぬ……と思っていたというしんどい記憶もわたしにはしっかり刻まれているが、周りから見たわたしは、結果として「痩せてかわいくなった!」になった。

初めて言われたときはびっくりした。
顔つきも変わってないし、性格も変わってないし、本当に痩せただけ、しかも痩せたというよりは、やつれたとか、飢餓状態、というのが事実に近いので、「なにを祝われているのか!?」という戸惑いが大きかった。なにが起きたのか、この時点ではまだ分かっていなかった。

痩せて、大学に進学し、今まで「媚び」としか捉えていなかった洋服や化粧、とくにフェミニンなテイストのものを身に付けるのが楽しいな、面白いな、と感じられるようになった。
慣れないながらも化粧をして、今思えばよく分からないコーディネートだけど、当時のわたしからしたらすごく考え抜いた服装をして、まあいわゆる大学デビューというものを果たしたわけである。外見だけ。

そしたら、色んな男性に声をかけられるようになった。「華奢だね、荷物持とうか?」「お上品だね!付属高の子?」「ご飯行こう、奢るから」、など。

全てに対して「なんで?」という気持ちだった。華奢、確かに痩せたので華奢に見えるかもしれないが、荷物は自分で持ちたいというのは変わってないので、「結構です」。お上品……というほど高いものを使ってるわけでもないし、この人化粧とかに疎そう、塗ってりゃいいみたいなタイプかな?知らんけど「いや田舎の出ですけど」。ご飯「行く訳ねーーーーーーだろ」。


いや、本当にびっくりした。
なぜなら、痩せて、いわゆる「大学デビュー」を果たしたものの、別にわたしは美人とかかわいいとかいう造りではないのだ。足が短い、顔は大きい、目は小さい、鼻は低い、撫で肩、とか色々。「世の中の綺麗な人」といわれるためのパーツがある方が美人で、ないならブス、という判断をするのであれば、わたしには全くないので、美人ではないということなのだろう。それは自分でも把握している。

ならば、何故大学に入った瞬間、それまでの「デブ」「ブス」扱いから「かわいい」と言われるようになったのか。

「痩せていて、化粧をしていて、フェミニンなので、こいつは『女』扱いができる」と思われたのだろうと考えている。痩せた経緯や、化粧のスキルや服・コスメの質なんかはどうでもよくて、「こいつは世の中の『かわいい』に合わせてきているのだろうから、世の中で当たり前に行われている、『女として値踏みされる』ことも受け入れるだろう」と、ただそれだけなのだろうと思った。


これは非常に気分が悪い。
「レッテル」しか見られていない。レッテルを貼られて、値踏みされ、ニコニコ返事をすることを求められる。わたし何もしてないし、中身は変わってないのに、そんなもんは知らぬとばかりにベター!!!っと「若くてフェミニンな、値踏みしてもいいしバカにしてもいい存在」というレッテルが貼られるのである。ムカつく!!!

しかし、いくらムカつく!と怒ろうが、無愛想でいようが、上記のような態度をとってくる人たちは見た目しか見ていないし、見た目が最優先なので、わたしの感情なんてなんの意味もなく、言われるとしても、「若い女の子がそんなに怒ったらかわいくないよ」とかである。やってられねえ~


だからといって、「『若い女』と言われないために、化粧も地味にして、服も地味にして……」とか、「中性的な格好をして……」とかはしたくなかった。わたしはわたしが、その時々で好きになった格好をしたいから。

……という理想もありつつ、しかし「若い女扱い」に体するストレスも溜まるので、どうしたものか、と思っていた。



そしたら、25歳頃から太りはじめた。そのときはうつではなく、双極性障害という病気に診断が変わっていたのだが、その病気の症状のひとつだったのか、薬の副作用なのか、ストレス性のものか、とにかく毎日めちゃめちゃお腹がすくようになって、何故か高カロリーなものが食べたくて仕方がなかった。……という生活を続けて3年弱で、すごく太ってしまった。特にここ数ヵ月の体重の増加は著しい。

最初はわたしも太りたくはなかった。コントロールが効かない身体が怖かったし、市販の服が綺麗な(というかデザインした側が想定している)ラインで着られなくなった。60キロ半ば~後半くらいが一番つらかった。
一番しんどかったのは、「最近太った?ダイエットしなよ」と言う人が多かったことだ。「痩せた経緯」については無頓着で、わたしが死ぬかもしれなかったぐらいのところを「痩せてよかったね」で済ますくせに、「太る過程」には不躾にものを言うんだな!?という怒り。何故あんたの思う通りの身体を造って維持しておかないと駄目なんだよ、わたしの思う通りにすらならないこの身体を、無責任な他人に合わせられるか!!という怒り。

だけど、70キロを超えたあたりから、どうでもよくなってきた。わたしもどうでもよくなったし、まわりもどうでよくなってきたのだと思う。わたしとしては、身体をコントロールできるなんてこと、あり得ないっていつまで経っても学ばないんだね自分ちゃんよ、と思った。大体のものは着られない。分かった。諦めがついた。メイクは問題なくできるので、いい。

80キロを超えた頃。かかりつけの病院の先生や、親から、健康面で太りすぎはよくない、と言われるようになった。わかっちゃいるけどねぇ……という気持ちを、先生たちはわかっている。母は、結構頻繁に注意というか、「またかわいい服を着るしおりちゃんになってほしいなあ」という、健康を大事にしてくれてるのか、一人娘が自分の好きなテイストで生きてほしいのかよく分からない文句を言ってくる。父や他の人は、「見てはいけないもの」扱いをしてくる。


結局、現在は身体についてなにか言ってくる人は両親と病院の先生だけになった。わたしを「若い女」として見ていた人たちは、わたしが太って「劣化」したので、「若い女」というレッテルは剥がしてくれたらしい。「ブス」「デブ」「キモイ」とかは思われてそうだが、心のなかで思ってるだけならまだいい。寄ってこられるのが嫌すぎたので、来ないでくれればそれでいい。そもそもわたしは何も変わっていないので、勝手に変わっていきなりこっちに来たり、どこかへ行ってしまう人たちに特に思い入れはない。



そうやって、わたしは今、「デブ」なので「細くあるべき」である「若い女」ではなくなった(「慎ましやかな」「若い女」とかそっち方面のレッテルはまだついている)。

前に比べりゃ大分ラク
異性愛者じゃないのに、異性愛者とみなされることない。何故なら「デブ」は恋愛の土俵には上がらない。ご飯も一緒に行かない。「デブ」には食費がかかる。「あわよくばセックス」の相手にもされてないんじゃないだろうか、見た目がよくないから。


元からそんなことして要らない、と思ってたから、「若い女向けのちやほや(?)」がなくなっても大丈夫。
嫌で仕方がなかったことがなくなって、ハッピー。
わたしを「デブ」と言う人もいるけど、そんなしょうもないことを口に出す人間なんて大したことないので、マイボディをリトマス試験紙にできるのはありがたい。


自由を感じる。
すこし、ひねくれた自由を。


わたしの身体は、わたしが買って、わたしが時には吐きそうになりながらかき込んで食べた物の分だけお肉がつくことが分かった。だから、今わたしの身体についているお肉はワシが育てた、と胸を張って言える。

病気によって、身体をコントロールできなくなって10年以上が経った。思考が身体を完全にコントロールできる訳がないと知って、納得もしている。今回の肥満も、ストレスによって始まったものだし、減量しようと決めてからも上手く行かないときが多い。だから、身体と自分の気持ちのちぐはぐさみたいなものに、振り回されても諦めをつけるようにしている。どうしようもないからね。

でも、他人がわたしの身体をコントロールしようとすることは、永遠に許さない。
わたしの身体を値踏みして、悦に浸らせはしない。

何故ならこれはわたしの身体だから。
わたしが、日々の生活で付き合っている身体だから。


ねぇみんな見てよ、わたしのかわいいぽよぽよお肉ちゃんを。わたしが時間とお金をかけて育てました。ぷよぷよしてる。
何故目をそらすのか?わたしはまだ「若い女」だけど、もういいんですか?見たくないんですか?醜い身体だから、もういいんですか?



わたしがわたしの手に取り戻した身体。不健康だけど、わたしの身体。誰も見向きはしない。心の底でなにを思われていてもいい。値踏みされない、それだけでもちょっとはマシ。


わたしの愛するぽよぽよお肉ちゃん。
そろそろ本当に減量しようと思うから、徐々にお別れすることになるだろうけど、今の自由を忘れはしない。値踏みされる価値もない「わたしの身体」。
「わたしの身体」なら、誰に好かれなくともわたしが大好きになる。自由になる。

それを体験したから、お肉が付くのはもう怖くない。痩せて、また嫌な思いをするかもしれないけど、わたしの身体はわたしのものだという感覚をもう知ったから、それを忘れずに生きていければ、頑張れると思う。

ありがとうございました。



と別れの言葉を言ってみたけど、わたしは怠惰だからもう少し付き合っていくことになるかもね。



20200515追記

お肉ちゃんを沢山持っている人と美について、少し気になっていることがあるので、追記をする。
太っている、ここでは美容体重以上というよりは、3L以上の服を着る人、くらいに思ってもらいたい。

今は、プラスサイズモデルというものもあり、比較的身近なところで、それなりに見える服を手に入れることが出来るが、「手にはいるもの」で「それなりに見える」自分で満足せず、「イカした」自分になりたいとしよう。
イカした」肥満体型の女性と聞いて誰が思い浮かぶかというと、わたしは渡辺直美さん、フォーリンラブ・バービーさんとかが思い浮かぶ。海外のアーティストも浮かぶ。各々思い描いた人は違うと思うが、わたしが思い浮かべた人たちの共通点は、「わりと脱いでる」「露出が多く、セクシー」である。

ここ最近、「デブと言われたけど超ポジティブに生きてる女性」とか、「エンパワメントされておしゃれになろうと思った肥満体型のインドアオタク」とかが出てくるドラマや映画のキャプチャを見るのだが、大体みんな露出度たかく、ぴっちぴちの服を着ている。ボディライン丸見えである。


「デブが美しくあろうとするなら、セクシー路線で肉を見せろ」ということなのだろうか。
わたしは寒いの苦手なので、あんまりそういう格好は好きではない。あと、自分のお肉ちゃんたち自体は好きだけど、胸や尻がでかいのは、いまだに嫌だなあ思うことの一つである。デブでもブスでもババアでもなんでもいいが、そうやって貶す対象だとみなされていても、何故か「乳がでかい」「尻がでかい」というのは、注目される。もちろん嫌な意味合いでだ。「エロい」「はしたない」なんでもいいが、本当に気持ちが悪い。


実は、ここのところ無茶に増やしたお肉ちゃんは嫌いではないが、その前からついている乳とか尻とかのお肉は嫌いである。お肉が悪いわけではないが、こんなもんどっかいけばいいのにな、と思ったことは多々あった。


どうまとめたらいいのか分からなくなってきたが、そうねえ、わたしは胸や尻の肉についてはコンプレックスがある。これがあるかぎり幸せになれない、位に思っている。でも、このコンプレックスを乗り越えた先にあるのは、「胸や尻を気にせず露出多めでセクシーな女性になること」なのか?という疑問がある。そして、「きちんとした女性」「自信のある女性」「成功した女性」は、セクシーにならなければいけないのか?という疑問もある。セクシー、というよりは、「広く恋愛対象になりうる/性的な魅力を持つ存在」に「戻る」必要があるのか、ということである。


ぶっちゃけ戻りたくないのだが、そのまま「枯れていく」のも面白くはない。なにか、面白く生きていきたい。さて、そうやって生きる上で、お肉ちゃんとはどう付き合うか。考えどころである。