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BL、生活、その他いろいろ

アセクシャルと結婚と家族

 アセクシャルの人は結婚しないので、結婚による利益を得られない。家族という集団の中での支え合いが難しく、低所得の場合、特に生活が厳しいだろう。

 

 よく聞く悩みです。よく聞く指摘です。

 まあ、実際そうなんだと思います。わたしも不安です。

 

 恋愛結婚至上主義的な世の中で、一人で暮らしていく、配偶者を作らず、そのせいで法的に保護されないまま生きていく、というのは、なかなか難しいですよね。心配です。

 前回前々回のエントリで、「セクシュアリティロールモデルはない」と言ってきましたが、生き方、サバイブの仕方として、ロールモデルが必要になる場合というのがあるだろうな、ということは考えていて、それがこの「結婚問題」なんだと思います。

 アセクシャルの人は、どうやって生きているんだろうか。わたしはまだ20代で実家暮らしだけど、今後独立して、30代、40代になって、それから高齢者になって、そうしたらどうなるだろう。非正規の低所得で自立できずに実家に住み続けて、見合いとかさせられて、高齢になった両親の世話をして、見送ることになるんだろうか。そして死ぬまで一人なんだろうか。

 色々考えます。

 

 そんな感じで考えたりもするわけですけど、別にそれだけがアセクシャルとしての悩みではないです。今回の話の一個目の結論はこれです。

 アセクシャル、というと恋愛結婚ができない、家族ができない、孤独に死ぬしかない、みたいな将来を想像してしまうし、不安になるけども、じゃあアセクシャルはそういう心配をメインにしていかなければならないのか?結婚しないと不便だねと、言われなければならないのか。自分でもそう考えてしまうのか。

 他のセクシャルマイノリティの人とかとお話してると、なんか、アセクシャルのこと心配して理解してるようにみえて、結局のところ恋愛結婚至上主義が前提としてあって、その上での議論でしかないんじゃん~みたいな、なんか脱力感があったりします。わたしは恋愛結婚至上主義的な考え方を持ってないからなんですけどね。

 

 考えなきゃならないことだろうとは思いますけど。そればっかり考えているわけではないのに、それ重要だよね、大変だね、みたいな扱いされると居心地悪いです。それに、みんなの持ってる恋愛結婚至上主義があるから大変なんだけど、そこ意識してる?

 

 ただ実際、考えるべきことではあるんですよね。いかに人生の進路の選択肢をひろげるか。いかに自分が快適に、不安も軽減して生きていくか。

 

 そこで、アセクシャル同士の連帯や協力は必要なのだと思いますし、アセクシャル以外の人との連帯や協力も必要だと思います。そして、それは夢物語ではなく、実際可能であるとも思っています。

 家族というものに憧れて、家族を作りたいという人もいるだろうと思いますし。そもそも家族というものがどういうものなのか分からない、という話はありますけど、そこは今回は割愛します。アセクシャルが家族を持つ。家庭をもつ。

 恋愛による連帯、信頼、結婚による法的保護とか、そういうものはアセクシャルはなかなか得られないのではないか、という不安もあります。だけど、そういう不安の中で、アセクシャル同士の連帯は可能だと、本当におもってるんです。

 じゃあ共同体に所属する、家族をつくるって、具体的にどうするんだよと聞かれたら答えられないような、ぼんやりとした希望でしかないですが、何かしら考えていくべきなんですよね、わたしの人生における問題として。サバイブのためのロールモデルが要るかも、とはいいましたが、アセクシャルに限らず、色んな人がいるので、ロールモデルに当てはめられない、フォローできない人達もいますよね。だから個人個人で考えなきゃならないんだろうけど、そこでアセクシャル同士でお話する機会を設けたり、連帯することは大事なのではないでしょうか。今後を考えておられるアセクシャルの人ってわりといるだろうし、そういう方同士でなにかうまく行くようにお話できるなら、なにか打開策が見えてくるのではないだろうか、というのが、今回のふたつ目の話でした。相変わらずふわっとした話ですけど、おしまい。

アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮)

 これを読みました

c71.hatenablog.com

そして、

ロマンティックラブイデオロギーにのっていれば、好きな人が同性なのね、という風に納得されやすい世の中になった。

   

ロマンティックラブイデオロギーの中だと、共感されやすい。

でも、アセクシャルやデミセクシャルの人は、ロマンティックラブイデオロギーにもちろん乗れない。
ドラマもないから、人に伝わりにくい。誰かと誰かがつきあって、気持ちが動いて、というドラマや映画ができにくい。
そういう意味で不利だ。

という部分にとても納得した。確かにそうなのです。

一時期、「Love is win!」(Love wins!だったかも)というキャンペーン?キャッチコピー?が流行りましたが、ドラマティックですよね。素敵だと思いますし、ヘテロセクシャルの人にも分かりやすくて、よかったとおもいます。でもアセクシャルであるわたしにとっては全然乗れない言葉だったし、なんの得もありませんでした。理解できないと言うのも水を差すようではばかられるくらい、世の中には本当にロマンティックラブイデオロギーが浸透してるんだなと思い、肩身狭かったです。

 

 一方わたしには、ロマンティックな恋愛ドラマはありません。何もない。だって恋愛しないんだもん!

 ロマンティックな恋愛ドラマがないと、わたしのセクシュアリティについて共感しづらいし分かりづらいと感じるのかな?という人たちがいます。そういったとき、ロマンティックイデオロギーの中にいる人たちから求められるのは、そうなった「原因」なのかなと、個人的には思っています。ロマンチックラブストーリーがないなら「原因」が知りたい、みんなで共有できる話題として「原因」を知りたい、みたいな。個人的な経験だけど、結構「原因」を聞かれることが多いです。(気づいた)きっかけではなく、「原因」を聞かれます(きっかけの方はセクシャルマイノリティである場合かなり多くの人が聞かれていると思う)。恋愛ではなくて、「原因」にロマンティックさやドラマティックさを求められているのかな、とその質問をされながらぼんやりと虚無感というか、またか、という気持ちになっています。

 

 だって困るんですよ、アセクシャルになった「原因」って、なんなのか分からないのです。わたしには原因もないんです。

 

 先日、「自分の今のセクシュアリティである原因を知りたいと思ったことがありますが?」というアンケートをTwitterで行いました。そもそものアンケートの造りが適切ではなかったと後悔しているのでここには載せませんが、ざっくりと結果をいうと、知りたいと思ったことがある人、ない人で半々くらいでした。

 「原因」。「原因」ってあるのだろうか。

 

 わたしは今は「原因はない」派ですが、昔は「原因」について考えたことがありました。性嫌悪なのかな、今うつだから?親の不仲を見て、恋愛結婚に期待をしていないから?男の人が嫌いだから?理解が足りないから?情報がないから?セクシャルマイノリティの「常識」をしらないから??などなど。しかし、そうやって考えてみても、答えは出ませんでした。

 

 それで、突き詰めて最終的に思ったのは、わたしがアセクシャルであることに原因はない、ということです。アセクシャルであることは、わたしの経験、思想、感覚、価値観などの中心になっているわけではないのです。私の経験、思想、感覚、価値観の全てがアセクシャルであるということを証明するために存在している訳でもないし、わたしのアイデンティティの軸はアセクシャルのみである、というわけでもない。上手くいえませんが、わたしの中の要素は全て繋がっていて、どれがセクシュアリティに関係しているものだとか、関係してないものだとか、分けることは出来ないと思ったんです。アセクシャルである原因をわたしの中に求めるのではなく、そもそもアセクシャルであることはわたしの中の一つとして、わたしの中に存在するのです。

外部に原因があるのかとも考えたことはあります。しかし、わたしはそこにも原因を見つけることができなかった。わたしが自分をどう表すか、そのことに、外部からの干渉は必要ありません。病気かな?トラウマかな?そんな考えは必要ないと思ったのです。アセクシャルである、ということは、わたしがわたしをどう表すかということであって、それ以上でもそれ以下でもありません。自分を表すときに、みんなに分かりやすいように、原因を探しておくということには、違和感もありますし。

 

 

   ロマンティックイデオロギーには、わたしは(肯定的には)反応しません。アセクシャルだからです。逆に、ロマンティックイデオロギーを持つ人は、ロマンティックイデオロギーのないわたしという存在には反応しづらいのかなと思います。なので、わかりやすい、理解しやすい「原因」を求めてくるのかな?とか思ったり。理解しようとしてくれるのは嬉しいですけど、わたしは別に分かりやすい「ストーリー」の中で生きているわけでもないし、ドラマティックな何かがあったわけでもないんです。人間の中に感情や、思想や、価値観があるのが当たり前だ、というのと同じように、わたしの中には、感情や、思想や、価値観や、アセクシャルである部分があるのが当たり前で、特別なことではないです。

 他の人とは違う、という部分はありますが、別にそのことに原因を求めて、回答を得ようという気は、今のわたしにはないです。

 

 あえて「アセクシャルである」原因を述べるのであれば、わたしがわたしのことをアセクシャルであると認めたから、今の自分はアセクシャルなのです。

 

 前回のエントリ(セクシュアリティのゆらぎとわたし )でも書きましたが、セクシュアリティにはゆらぎがあると思っているので、今後違うセクシュアリティになるかもしれないし、その変化にいちいち原因を求めるのもちょっとしっくりこないかなと今は思っています。もしかしたら、漫画みたいなすっごくドラマティックな事件が起きてそれが原因で異性愛者になったりするかもしれないので、絶対ない!とは言い切れませんけど。

 

 とにかく今は、わたしにはドラマティックな「原因」はないし、それを求められても困るなあってかんじです。原因がないこと、セクシュアリティについて語る時、他人との共通点が少ないことは、正直わたしも不利だと思いますし、実際不便さや隔絶感を感じることも多いです。でも、どうしたってわたしにはドラマもストーリーも「原因」もないんですよね。なんかすいませんね面白くもなくてってひねくれたことをおもうときもあります。でもないもんはないので仕方ない。

 今のところは、っていうことで、タイトルも(仮)にしています。そのうち考え方が変わる可能性もあるので、そのときはまた新しくエントリを書こうと思います。

 

 

続き(関連記事)

続アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮) - 333

 

 

おまけ

アンケートで、「原因」を「身体の異常」ではないかと思う、とリプライをくださった方がいました。わたしは色んな人の意見を聞いてみたかったので、リプライ嬉しかったです。しかし一方で、セクシャルマイノリティであることを「病気」「異常」と結びつけるのは、危険なのではないかと思いました。歴史的に、同性愛者は「病気である」として、拷問のような「治療」がなされたりしていたという事実があります。個人的な範囲で、セクシャルマイノリティである原因を自分の身体の状態に求めたり、そしてそれで納得して自分のセクシュアリティを肯定できたりしているのなら、他人であるわたしからは何も言えません。しかし、そういった歴史があったということや、わたしと同じセクシュアリティを持つ人からそういったリプライをもらったわたしの気持ちもちょっと考えてもらえたら、と思います。リプライをもらった時にこうやってお返事できたらよかったのですが、消化して整理するのに時間がかかったのと、もし、原因についてそういう風に思っている方がこの文章を読んでくださっているのであれば、配慮して下さいって伝えたいなと思ったので、ブログの方に書いておきたいと思いました。

 

追記

 実はこの話は、前回のエントリ(セクシュアリティのゆらぎとわたし )に入れようかと思っていた話でした。この前回と今回、二つのエントリについて考えるようになったきっかけの出来事は同じものなんです。ものすごく前になるんですが、「セクシャルマイノリティにはロールモデルがあったほうが、悩む人にとってお手本にできるから良い」「原因もいくつか代表例を作っておくと良い」「『わかる』と安心できる」と言う人と出会いました(その人はゲイでした。)。わたしはそれに強烈な違和感を抱いていたのですが、その時はその違和感を言語化できませんでした。もう数年前の話ですけど。それを最近になって考えなおす機会があったので、このような2つのエントリが出来ました。確かに、悩んでいる時に、「あなたが◯◯なのは、一般的に××が原因で、気づいたきっかけは□□という場合が多いよ」とか言われたら、ああーそうなんだ、と納得できたり、いや自分はそうではないから、と次を考えるきっかけになったりするかもしれません。良い物なのかもしれません。でもわたしは納得できませんでした。原因が分かったからってどうなるの?それを「改善」したら、「治したら」いいの?という気持ちもありましたし、「自認」なのに他人の言う枠に入っちゃっていいのかな、とか、「マイノリティ」「グラデーション」と言っているのに、結局多数派に落ち着かないとやっていけない世界なんだ、みたいな失望というか、そういう気持ちになったりもしました。人と違うことに恐れたり、困ったりしてセクシャルマイノリティコミュニティに来たのに、また、人とは違うことを分かりやすく説明できるような何かにならざるを得ないような、そういう圧のある場所は嫌だなと、その人と喋っている時に思っていました。

 ロールモデルは必要なのか、原因は必要なのか。自分のセクシュアリティを、人に説明できるような、単純なものに落としこむ必要があるのか。ていうか説明したら分かってくれるわけ?(わかって「くれる」という言い方がまず気に食わないんだけど!)(マイノリティの中のマイノリティであれば、ここが「不利」ってやつですよね)

 

 などなどという理由から出来たのがこの2つです。一応繋がっているんですよ~みたいな話でした。

セクシュアリティのゆらぎとわたし

 わたしはいま、アセクシャルを名乗っています。

 だけど、実は自分が「アセクシャルであることに確信は持っていません。「アセクシャルだと言い切ることはできません。ただわたしのセクシュアリティを表すときに一番近いから、アセクシャルを名乗っています。そしてそのことに違和感や罪悪感はあんまり持っていません。

 なぜ自分を「アセクシャル」だと言い切れないかというと、わたしのセクシュアリティには「ゆらぎ」があるからです。なのになぜアセクシャルだと名乗ることに違和感がないかというとセクシュアリティに「ロールモデル」を求めていないからです。

 

 長くなりますが、わたしが今の自認に至るまでのプロセスは以下のようなものです。
 わたしは、中学生までは、自分を異性愛者だと思って生きていました。まず異性愛者以外のセクシュアリティを知らなかったということもありますが、男の子を好きになっていたし、それに疑問を持ったこともありませんでした。ただ、女の子のことも好きで、一番親しい女友達とは結婚したいと思っていました。そう思うことが「変わっている」、と知ったのは、中学を卒業するときでした。友人に指摘されたのです。でも、それを知っても、わたしは自分が異性愛者であると思うことに全く疑問を持ちませんでした。

 「おかしい」と思うようになったのは、高校を卒業した辺りでした。高校在学中、わたしは男性を好きにならなかったんです。でもそれは、そのときうつ病の治療中だったんですけど、そのせいで高校での三年間自分の体調のことで精一杯だったから、恋愛なんてしていられなかったからじゃない?元気になったらきっと恋人とか作ったりするでしょ。そう思っていたのですが、高校を卒業して、浪人していたとき、わたしは恋愛をしないどころか、男性のことをとても嫌に感じている、ということに気づきました。男性がいやだ、全然好きじゃない。そのころ、わたしは人生で初めて変質者っぽい男性に遭遇して怯えていたので、それが原因で男性嫌いになったのではないか、ということも考えました。でも、男性みんなが変質者なわけないし、この男性やあの男性はとてもいい人なんだから、嫌に思うなんて失礼でしょと、自分に言い聞かせてもどうにもなりませんでした。男性がいやでいやで仕方がなかった。このころから、自分は「普通じゃない」のではないかと考え始めたのです。

 そして、「男性嫌悪」「レズビアン」「アセクシャルという単語を知ったのも、ちょうどこの頃でした。

 

 混乱しました。わたしは一体なんなんだろう、中学生までは男の子が好きだったのに、いまじゃ男性のすべてがこわいし嫌だ。ぎりぎり二次性徴以前の男の子なら怖くない、だったらわたしはショタコンなの?いやいや、男性と付き合ったことがないから分からないだけで、ほんとは異性愛者かも、でも中学のとき女友達と結婚したかった、じゃあわたしはレズビアン?恋愛しないのも、病気の治療に手一杯で、自分以外の人間に目が向けられないだけじゃない?イケメンが好きすぎて一般男性の顔ではぴんとこないだけかも、とかいろいろ。

 浪人時代から大学二回生くらいまで悩んで、悩んでもわからなくて、一人のままでは解決できないと思って、セクシャルマイノリティ当事者のサークルに入ることにしました。そこで他のセクシャルマイノリティの人と比較したり色々あって、わたしは男性嫌いなんだ、ということは分かりました。ジェンダーロールに強烈な違和感と憎しみを持っていたことにも気づきました。それから、やっぱり恋愛に興味がないことにも気づきました。超どうでもいい。したいと思わない。それは分かった。

  じゃあわたしは「アセクシャル」を名乗るべきなのか?サークルに入ったことで、自分のセクシュアリティについて名乗ったり、説明したりする機会が多くなったんです。わたしは他の人にどういう風に捉えられたいんだろう。自分のことをどう説明すればいいんだろう。他の人は自分のセクシュアリティについてはっきりしていて、堂々と名乗っている中で、わたしはどういうセクシュアリティを持つ人間としてその場にいるべきなんだろう。

 

 それについて、かなり悩みました。最終的にそのサークルのなかで、わたしはクエスチョニングです、ではなく、「アセクシャル」です、と名乗るようになりました。恋愛をしない、性的欲求が他人に向かないという部分では「アセクシャル」なんだろうな。なのでその部分については「アセクシャル」だと言ってもよいだろうし、他人から見ても分かりやすいだろう。

 だけどわたしのパーソナリティは、「アセクシャル」っぽくないみたいなんですよね。わたしが恋愛やセックスのある作品が見られないことや、やっぱり女性の方が好きなこと、性嫌悪はないこと、BL(性的な表現を含む作品)は読めること、イケメン海外俳優がすきなこと、女性アイドルが好きなことを、「アセクシャル」であることと相反するものだと捕らえる人もいます。「それって『アセクシャル』じゃないんじゃない?」とか「恋愛したことないだけかも」「変わってるね」「よく分からない」と言われたりします(今も言われます)。

 

 わたしは「アセクシャルじゃないのかも。他の人からみても「アセクシャルじゃないのかも。「アセクシャル」だと名乗っている間も、わたしは「アセクシャルってなんだろう」「アセクシャルを名乗るべきなのか」「アセクシャルの条件を満たしてないのではないか」ということを考えていました。

 そうやってずーっと悩んで、そして出た答えは、「セクシュアリティって人それぞれで違うに決まってるのに、限られたいくつかの名前で区別するなんて無理だよね」ということと、「セクシュアリティって変化したり、ゆらいだりするものなんだ」「『アセクシャル』という枠にきっちりはまれなくてもいいんだ」ということです。同じアセクシャルであっても、その中には色んなアセクシャルがいるはず。わたしはわたしとしてアセクシャルだと名乗っていこう。自信をもって、それで大丈夫。分かりやすい「アセクシャル」である必要はない。自分が、アセクシャルだと思ったなら、アセクシャルを名乗っていい。あるべき「アセクシャル」として振る舞う必要もないし、アセクシャルな部分も持つわたし、として色々お話したり、人と出会ったりすればいい。

 分からないところは分からないままでいいです。典型的な「アセクシャル」になる必要もない。周りの人になんと言われようと、わたしはわたしなので、「あるべき」セクシュアリティを求める必要もないし、他の人から勝手に求められてもこまります。

 

 自認っていうくらいだから、自分で自分がなんなのかを認めてあげればそれでいい。なんとなくでも、アセクシャルという言葉がしっくりくるなら、使えばいい。しっくりこないなら無理に「アセクシャル」という枠にはまらなくても大丈夫。セクシュアリティロールモデルなんてないし、必要ない。違和感があれば、またそのとき考えよう。そのときに合ったわたしであること、それを大事にしたい。変わりゆく自分を、そのまま認めて、必要なら名前をつけてあげたり、言葉で説明してみたりしたらいい。

今はそんな風に思います。
 ていうかマイノリティって言ってんのにそこに典型的マジョリティを求めないでくれる?性はグラデーションとか建前かよ~そんなだからもうめんどくさいし「アセクシャル」だとしか言わないわ、まあ好きに思ってくれていいですけど~みたいな、きれ気味な気持ちもありつつ頑固にアセクシャルを名乗ってるって面もありますけど。でもそんなにピリピリしなくても、のんびりアセクシャルとして暮らしたらいいし、ちゃんとわかってくれる人もいるし大丈夫だと、今のわたしは知っています。

 

 ゆらいでてもおっけーって、なんだかすごく大雑把なところに落ち着いてしまいましたが、これでも今に至るまで数年かかりました。○○でなければならない、という考え方から抜け出せなかったんです。アセクシャルってなんなんだろう。恋ってなに?愛ってなに?悩みだすと長い。しかもその答えは一つじゃない。多分正解もないです。アセクシャルになった原因とかあるのかな、わたしはおかしいのかな、とかネガティブな気持ちになる時も未だにあります。

 

 アセクシャルかも、という人とお話するとき、クエスチョニングなんです、アセクとノンセクの間で迷っていて、でも自分にはアセクシャルっぽくないこういう性質もあるから、自分がどちらなのか分からない、アセクとかノンセクとかって名乗る資格がないかもしれない、というような悩みを持っている人に、結構出会ったりします。

そういうのを聞くと、「セクシャルマイノリティ」ってハードル高いんだなって思うんです。ロールモデルに当てはまらなければセクシャルマイノリティ当事者として名乗る「資格」がない。当事者とそれ以外を分け隔てる壁が厚い。同じセクシャルマイノリティでも、その種類を分ける壁は厚い。ゆらぎを、許さない人もいます。例えば、アセクシャルと名乗っているのに恋人作って結婚したな、バイセクシャルって言ったのに結局異性と付き合ってるんだ、この裏切り者って言われることだってあります。でもそんなこと言われたって困るし、傷つきます。誰かを「裏切らない」ように、わたしはずーっと「アセクシャル」のままでいなければ、その枠からでないように生きていかなければいけないのでしょうか。それはいやだなあ

 

 ゆらぎがある、という選択肢もあるんじゃないかなと、わたしは思うんです。それは裏切りでも何でもなく、自分が自分のことをどう捉えるか、人生をどうやって歩んでいくかということだと思うんです。

 ゆらぎがあるという考え方がもっと広まれば、ちょっと気が楽になる人がいるんじゃないかな、とも思います。そして、ロールモデルなんてないし、そういう壁や枠を作らないで欲しいということも思ったりします。

 

 

 自分が感じたまま自分を表してみて、しっくり来たらそれでいいと思います。しっくりこなければまたふら~っとしてみたらいいし、新しい、自分を表すものを作ってもいいかも。

そんなかんじでぼんやりアセクシャルとして過ごすのも、悪くないです。オフ会とか楽しいこともして、色んな人と色んなお話をして、分かってくれる人もいて。そうやっていく中で、また自分を見つめなおすということに、苦しさや悲しさを感じることは少なくなりました。

 悩んでる人がいたら、セクシュアリティで迷ってる人がいたら、それは悪いことでもおかしなことでもないし、これこそがセクシャルマイノリティだ、なんて誰かにジャッジされるものでもないんだよって、言えるようになれたらいいなと思うんです。

 わたしみたいにざっくりぼんやりアセクシャルもいるよと伝えられるような、そういう自分でいたいな、というのが今のところの目標です。

  

 追記

少し前に、アセクシャル寄りのクエスチョニングの方から、「しおりさんみたいな人がアセクシャルだと思っていた(恋愛ものの作品が観られない、フェミニンな格好を好む、とか色々)」「わたしはしおりさんとは違うから、アセクシャルじゃないのかもって思ってました」というようなことを言われたんですが、わたしはアセクシャルの「見本」とか「お手本」じゃないんです。ないのに、自分の言動が「アセクシャル」の「見本」として周りの人に捉えられていたということがショックだったし、すごく申し訳ない気持ちになりました。わたしは本当に見本じゃないです。わたしはアセクシャルを名乗っているけど、アセクシャルの中の一人でしかないんです。だけど、わたしを見本にして苦しんでいた人がいた、ということに未だに後悔しているというか、申し訳なくて、だから、わたしはゆらいでいる、ロールモデルはない、と言っていきたいし、言っていかなければならないのかもしれない、と思ったのです。

 

関連

アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮)

http://si0r1.hatenablog.com/entry/2016/08/02/104930

 

「オープン」な社会ってどういうことだろう

  

r25.jp

 

 こういう記事を読んだ。今までであれば利用できなかった制度や、働きづらかった環境が、企業の取組によって「LGBT」でも利用できるようになってきた、という記事である。たしかに最近、LGBT向けの制度やプランが出てきているなという感じはしていて、よいことだと思う。

 

 でもこれを読んだ時の一番の感想は、ちょっと待って、「オープン」な社会ってなんだろう。なにが「オープン」なんだろう、というもので、私はすごくもやっとした。

 

 今まで、異性愛者たちの世界からLGBTを排除し、区別するように閉ざされていた扉を「オープン」してもらうのだろうか。

 それとも、LGBTであることを「オープン」しても異性愛者と同じように扱ってくれるようになるってことなんだろうか。

 

 どっちにたって失礼な話ではないか、だって結局異性愛者中心であることは変わりない。前者の意味での「オープン」であれば、異性愛者からの理解によって、今まで異性愛者が閉ざしてきた扉を開けてあげるよ、ってことにならないだろうか。そうであれば、その扉を閉ざしてきたのは異性愛者の方じゃないか、と思う。LGBTが入れてって主張しても、なかなかその扉を空けなかったのは異性愛者だ。なのにいきなりいい人みたいな顔して「オープンな社会に」とか言っちゃって、それってなんかむかつく!とわたしは思った。感情的すぎって言われるかもしれないけど、こんなの上から目線じゃない?ってすごくいらっとした。

 後者の意味での「オープン」であっても、このいらっとした気持ちは変わらない。今の社会では、黙っていれば「異性愛者」とみなされる。異性愛者は、特別名乗らなくても「異性愛者」として扱ってもらえるし、異性愛者のための制度も使える。でも、LGBTは、わざわざセクシュアリティを「オープン」にしなければ、LGBTとして扱ってもらえないし、制度も使えない。そんなの、なんというか、ずるい!結局社会の中心、メインストリームは異性愛者のままだ。

 

 「オープン」というのは、どういう意味なんだろうか。誰が何をオープンするんだろう。どちらか一方が「オープン」するだけなら、今の不公平な社会構造、権力構造は変わらないままだ。少数者は少数者として生きていかなければならないんじゃない?

 現状、このような動きが出てきたことは喜ばしいことではある。しかし、こんな「オープン」な社会に満足できるはずはない。こうやって、異性愛者からの「恩恵」を受けて生きていかなければならないんだろうか。いや、これらの動きを「理解」が進んでいるということも出来るのは分かっているし、実際そうなんだとおもう。これらの制度が充実することによって、LGBTが社会に出ていくためのハードルが下がること、それによってさらなる理解が進むんだろうな、とも思っている。だけど、わたしはそのことをプラスの意味で読み取ることは出来なかった。やっぱりもやっとする。「オープン」ってなんなんだろうって。

 

 個人的な話だが、わたしは、周囲の人にカミングアウトする気はない。カミングアウトして、どうなりたいか決まらないからだ。「LGBTのみなさんは、どのような社会を望みますか?」「こういう制度があればいいなと思うことを教えて下さい」と言われても、なにも思いつかない。同性婚が出来るようになってもわたしには関係ない。パートナーに保険がおりたり、公的扶助が受けられるような制度ができても、わたしには関係ない。欲しいのは制度ではない。「どう生きてもいいよ」という合意のある社会に生きたい。それは異性愛者でも性的少数者でもかわりなく、「どうあっても人それぞれだ」「それなりに幸せに生きていける」社会がほしい。そのために必要になってくる制度もあるだろう。しかし、対象も効果も限定的になるような、異性愛者中心の「オープン」な社会はいらない。それは、あらたな区別を作るだけではないか。「オープン」な社会は、何を変えていくのだろうか。誰がどうなるためのものなんだろうか。わたしはこの「オープンな社会」というのを、素直に受け取って喜ぶことは出来ない。

 

 あと、LGBT(性的マイノリティー)って言ったって、LとGとBとTしか含んでないやつばっかりじゃないかよと、いつものごとく思うのであった。

★アセクシャルさんに55の質問★

近、ふとしたきっかけで「★アセクシャルさんに55の質問★」というのを見かけまして、内容もさることながら、バトンだーーー!!!同人サイトや昔のSNSで指名したりされたりして答えるするあの懐かしきバトンだーーーー!!わたしにとっては若干の黒歴史!!!!と感動したので、わたしもやりたいと思います

★指名はしません!気になった方は是非やってみてください~!★

 

(懐かしいとか思ったんでけど、ラインを使う中高生の中にもそういう文化あるみたいですね。バトン現役でした。)

 

 

1.HNを教えてください。

 しおり

2.自分がAセクシャルだと気づいたのはいつですか?

 そうかも~って思い始めたのは18か19歳の時 

 自認はアセクシャルですってはっきり言うようになったときは21歳の時

 3.いつ・どこでAセクシャルという言葉を知りましたか?

 18歳の時に悩んでいたら、知り合いがアセクシャルで、

 こういう人もいるけどしおりさんはどうかな?みたいなことを言ってもらった時


4.あなたは未婚ですか?既婚ですか?

 未婚

 

5.性自認は何ですか?

 女性、シスジェンダー

 


6.恋愛感情はありますか?

 今はない


7.好意をもつ対象は同性ですか?異性ですか?

 恋愛的な意味じゃない好意だったら断然女の人


8.恋愛経験はありますか?

 中学生の時までは気になる男の子がいる~みたいな話はしていた

 

9.恋愛することに対して嫌悪感はありますか?

 自分がすること、という意味なら、あまりない

 恋愛至上主義とか恋愛ならなにやってもいいみたいな人の恋愛には抵抗ある 

 

10.Aセクシャルであることが原因で恋人と別れた事がありますか?

 ない 恋人がいたことがない

 


11.現在、恋人が居ますか?

 いない


12.恋人は必要ですか?

 必要不可欠ではない でも相手によっていは恋人になっても困らない


13.恋人とのスキンシップ、どこまでなら許せますか?

 経験ないので想像だけど、相手が非常にまともで、自分のことを理解してくれてる人なら多分そこそこ大丈夫

 

14.友達とのスキンシップ、どこまでなら許せますか?

 手をつなぐ、くっつく、べったり抱きつく、くらいしかさせてもらったことない

 自分としてはキスとかもできる

 

15.他人との接触は、どこまでなら許せますか?

 接触したくない

 


16.一次接触が原因のトラウマを持っていますか?

 一次接触の意味がわからなかった

 初めてのキス・セックスって意味ならしたことないしトラウマはない


17.性欲を感じる事はありますか?

 あるけど具体的な個人に感じたことはない

 

18.自慰をすることはありますか?

 ある

19.性交の経験はありますか?

 ない

20.性欲について嫌悪感を持っていますか?

 自分が性欲を持っている事自体には嫌悪感とかはない

 他人の性欲も、それが存在すること自体には嫌悪してはないが

 全肯定はしていないし、好きではない


21.結婚をする気はありますか?(ありましたか?)

したいとは思わないけど絶対しないということもない


22.家族・親族から結婚を勧められた事はありますか?

 結構幼い時から頻繁にある


23.その時、どのように答えましたか?

 子どものときは、「今はまだ分かんない」 

 今は、「病気がちなので、他人のこと考えるよりも、自分が健康な人間として生きていくことで精一杯」

っていう


24.こういう人となら一緒に暮らしてもいいと思える人はどんな人ですか?

 具体的な人物像はない

 同居の理想形は、「2DK」のきなりとこむぎ、「のの湯」ののの、岫子、アリッサ

 

25.自分の子供が欲しいと思いますか?

 自分の、っていうところにはあまりこだわりはない

 


26.ドラマティックで激しい恋愛をしたいと思いますか?

 それなりの倫理観を持った石油王と結婚して富豪になりたい

 うそです


27.性行為を楽しむことができたら…と思った事はありますか?

 経験はないけど性行為が楽しくないとは思ってないので、

「楽しめることができたら」ということは思わない


28.貴方の恋愛に対するイメージを教えてください。

 してもしなくてもいい  でも世界では恋愛は必然必須ってイメージが浸透しすぎ

 

29.貴方の性行為に対するイメージを教えてください。

 合意でやってください

 

30.誰かに恋の告白をされたらどうしますか?

 相手によるかもしれないけど、最低でも困ってしばらく家から出ない

 


31.普段、一人称は何を用いていますか?

わたし 自分の名前


32.また、二人称は何を用いていますか?

 相手の名前


33.いつもどんな服装をしているか教えてください。

 ひら~っした服 ガーリー?フェミニン?みたいな

 

34.今はどんな髪型をしていますか?

 ラベンダー寄りブラウンのロング

 

35.自分の肉体に違和感を感じますか?

 乳と子宮が取り外せるなら外したいなーって思う時がある

べつに男性の体になったり男性器がほしいわけではない

 


36.自分の身体的性別に違和感を感じますか?

 あまり感じない

 

37.自分の社会的性別に違和感を感じますか?

 違和感はないけど、社会的ポジション的に男性になりたい気持ちがすごく強烈で、

「男」になれないことがコンプレックスだった時期はあった

 

38.肉親や友達にカムアウトはしていますか?

 弟だけにしている

 

39.Aセクシャルについて他人に言われた痛い一言を教えてください。

 (男性嫌いかも知れないし、もっと男性と接して)

 リハビリしたら治るよ

 

40.Aセクシャルの事でカウンセリングを受けたことがありますか?

 ない  

 メンタルクリニックに通院しているけど、どれだけセクシャリティのことで不安に感じたりストレスを感じていても絶対に相談しない

 


41.正直、自分に嫉妬心はあると思いますか?

 とてもある 独占欲もある


42.他人と関わるのがなんとなく苦手だと思いますか?

 すごく苦手


43.貴方にとって他人と関わる上で居心地の良い関係とはどういうものですか?

 頻繁に会わなくてもゆるっと繋がっていられる関係


44.同性に嫌悪感を感じたことがありますか?

 ある

 

45.異性に嫌悪感を感じたことがありますか?

 かなりある

 


46.もし会話中に恋話を振られたらどうしますか?

 好きな男の人といえばこの人見て私のすっごい好きな俳優さんなんだけどすごくイケメンで~!!!!こういう作品にでてて!!!知ってる?!いいよねーーー!!!えーなになに君も映画好き???ていうか私女性アイドルも好きで~とかそういう方向に勢いよく話を変える

 それが出来ない雰囲気でもやる気合でやる


47.もし、会話中にシモネタを振られたらどうしますか?

 鼻で笑う

 

48.Aセクシャルであるが故の悩みを教えてください。

 セクシャルマイノリティの中でも性愛者の人と仲良くなりづらい

 

49.Aセクシャルであるが故の幸せを教えてください。

 恋人も配偶者もいないのでDVに遭う可能性が低い

 

50.Aセクシャルにまつわる大切な思い出を一つ教えてください。

 アセクシャル以外の、性愛者の人から、恋愛至上主義の中で生きなくてもいい、アセクシャルだって一つの生き方だと思う、みたいに、腫れ物扱いされて慰められるかんじでもなく肯定してもらえたこと

 


51.恋愛至上主義的な今の世の中についてどう思いますか?

 困る

 

52.Aセクシャルに生まれて不幸であると思いますか?

 困ることもあるけど

 自分は生まれながらにしてアセクシャルではないタイプだと思うし

今後自認がゆらぐことも実際変わることもあるだろうから、将来のことまでアセクシャルであるという前提で考えてあーあ不幸な生まれだ、不幸な人生だった、とか思ったりはしない

 あと、異性愛者だったら幸せだったのかなとかも思わないので、アセクだから、というだけで不幸だとは思わないとおもう

 

53.異性愛者の方へ一言おねがいします。

 アセクシャルっていうのもいるので知って仲良くしてね

 

54.同性愛者の方へ一言おねがいします。

 アセクシャルっていうのもいるので知って仲良くしてね

 

55.Aセクシャルの皆さんへメッセージをどうぞ。

 色々形はあるけどとにかく楽しくのんびり生きていけたら良いよね

 

 

おしまい