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BL、生活、その他いろいろ

アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮)

 これを読みました

c71.hatenablog.com

そして、

ロマンティックラブイデオロギーにのっていれば、好きな人が同性なのね、という風に納得されやすい世の中になった。

   

ロマンティックラブイデオロギーの中だと、共感されやすい。

でも、アセクシャルやデミセクシャルの人は、ロマンティックラブイデオロギーにもちろん乗れない。
ドラマもないから、人に伝わりにくい。誰かと誰かがつきあって、気持ちが動いて、というドラマや映画ができにくい。
そういう意味で不利だ。

という部分にとても納得した。確かにそうなのです。

一時期、「Love is win!」(Love wins!だったかも)というキャンペーン?キャッチコピー?が流行りましたが、ドラマティックですよね。素敵だと思いますし、ヘテロセクシャルの人にも分かりやすくて、よかったとおもいます。でもアセクシャルであるわたしにとっては全然乗れない言葉だったし、なんの得もありませんでした。理解できないと言うのも水を差すようではばかられるくらい、世の中には本当にロマンティックラブイデオロギーが浸透してるんだなと思い、肩身狭かったです。

 

 一方わたしには、ロマンティックな恋愛ドラマはありません。何もない。だって恋愛しないんだもん!

 ロマンティックな恋愛ドラマがないと、わたしのセクシュアリティについて共感しづらいし分かりづらいと感じるのかな?という人たちがいます。そういったとき、ロマンティックイデオロギーの中にいる人たちから求められるのは、そうなった「原因」なのかなと、個人的には思っています。ロマンチックラブストーリーがないなら「原因」が知りたい、みんなで共有できる話題として「原因」を知りたい、みたいな。個人的な経験だけど、結構「原因」を聞かれることが多いです。(気づいた)きっかけではなく、「原因」を聞かれます(きっかけの方はセクシャルマイノリティである場合かなり多くの人が聞かれていると思う)。恋愛ではなくて、「原因」にロマンティックさやドラマティックさを求められているのかな、とその質問をされながらぼんやりと虚無感というか、またか、という気持ちになっています。

 

 だって困るんですよ、アセクシャルになった「原因」って、なんなのか分からないのです。わたしには原因もないんです。

 

 先日、「自分の今のセクシュアリティである原因を知りたいと思ったことがありますが?」というアンケートをTwitterで行いました。そもそものアンケートの造りが適切ではなかったと後悔しているのでここには載せませんが、ざっくりと結果をいうと、知りたいと思ったことがある人、ない人で半々くらいでした。

 「原因」。「原因」ってあるのだろうか。

 

 わたしは今は「原因はない」派ですが、昔は「原因」について考えたことがありました。性嫌悪なのかな、今うつだから?親の不仲を見て、恋愛結婚に期待をしていないから?男の人が嫌いだから?理解が足りないから?情報がないから?セクシャルマイノリティの「常識」をしらないから??などなど。しかし、そうやって考えてみても、答えは出ませんでした。

 

 それで、突き詰めて最終的に思ったのは、わたしがアセクシャルであることに原因はない、ということです。アセクシャルであることは、わたしの経験、思想、感覚、価値観などの中心になっているわけではないのです。私の経験、思想、感覚、価値観の全てがアセクシャルであるということを証明するために存在している訳でもないし、わたしのアイデンティティの軸はアセクシャルのみである、というわけでもない。上手くいえませんが、わたしの中の要素は全て繋がっていて、どれがセクシュアリティに関係しているものだとか、関係してないものだとか、分けることは出来ないと思ったんです。アセクシャルである原因をわたしの中に求めるのではなく、そもそもアセクシャルであることはわたしの中の一つとして、わたしの中に存在するのです。

外部に原因があるのかとも考えたことはあります。しかし、わたしはそこにも原因を見つけることができなかった。わたしが自分をどう表すか、そのことに、外部からの干渉は必要ありません。病気かな?トラウマかな?そんな考えは必要ないと思ったのです。アセクシャルである、ということは、わたしがわたしをどう表すかということであって、それ以上でもそれ以下でもありません。自分を表すときに、みんなに分かりやすいように、原因を探しておくということには、違和感もありますし。

 

 

   ロマンティックイデオロギーには、わたしは(肯定的には)反応しません。アセクシャルだからです。逆に、ロマンティックイデオロギーを持つ人は、ロマンティックイデオロギーのないわたしという存在には反応しづらいのかなと思います。なので、わかりやすい、理解しやすい「原因」を求めてくるのかな?とか思ったり。理解しようとしてくれるのは嬉しいですけど、わたしは別に分かりやすい「ストーリー」の中で生きているわけでもないし、ドラマティックな何かがあったわけでもないんです。人間の中に感情や、思想や、価値観があるのが当たり前だ、というのと同じように、わたしの中には、感情や、思想や、価値観や、アセクシャルである部分があるのが当たり前で、特別なことではないです。

 他の人とは違う、という部分はありますが、別にそのことに原因を求めて、回答を得ようという気は、今のわたしにはないです。

 

 あえて「アセクシャルである」原因を述べるのであれば、わたしがわたしのことをアセクシャルであると認めたから、今の自分はアセクシャルなのです。

 

 前回のエントリ(セクシュアリティのゆらぎとわたし )でも書きましたが、セクシュアリティにはゆらぎがあると思っているので、今後違うセクシュアリティになるかもしれないし、その変化にいちいち原因を求めるのもちょっとしっくりこないかなと今は思っています。もしかしたら、漫画みたいなすっごくドラマティックな事件が起きてそれが原因で異性愛者になったりするかもしれないので、絶対ない!とは言い切れませんけど。

 

 とにかく今は、わたしにはドラマティックな「原因」はないし、それを求められても困るなあってかんじです。原因がないこと、セクシュアリティについて語る時、他人との共通点が少ないことは、正直わたしも不利だと思いますし、実際不便さや隔絶感を感じることも多いです。でも、どうしたってわたしにはドラマもストーリーも「原因」もないんですよね。なんかすいませんね面白くもなくてってひねくれたことをおもうときもあります。でもないもんはないので仕方ない。

 今のところは、っていうことで、タイトルも(仮)にしています。そのうち考え方が変わる可能性もあるので、そのときはまた新しくエントリを書こうと思います。

 

 

続き(関連記事)

続アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮) - 333

 

 

おまけ

アンケートで、「原因」を「身体の異常」ではないかと思う、とリプライをくださった方がいました。わたしは色んな人の意見を聞いてみたかったので、リプライ嬉しかったです。しかし一方で、セクシャルマイノリティであることを「病気」「異常」と結びつけるのは、危険なのではないかと思いました。歴史的に、同性愛者は「病気である」として、拷問のような「治療」がなされたりしていたという事実があります。個人的な範囲で、セクシャルマイノリティである原因を自分の身体の状態に求めたり、そしてそれで納得して自分のセクシュアリティを肯定できたりしているのなら、他人であるわたしからは何も言えません。しかし、そういった歴史があったということや、わたしと同じセクシュアリティを持つ人からそういったリプライをもらったわたしの気持ちもちょっと考えてもらえたら、と思います。リプライをもらった時にこうやってお返事できたらよかったのですが、消化して整理するのに時間がかかったのと、もし、原因についてそういう風に思っている方がこの文章を読んでくださっているのであれば、配慮して下さいって伝えたいなと思ったので、ブログの方に書いておきたいと思いました。

 

追記

 実はこの話は、前回のエントリ(セクシュアリティのゆらぎとわたし )に入れようかと思っていた話でした。この前回と今回、二つのエントリについて考えるようになったきっかけの出来事は同じものなんです。ものすごく前になるんですが、「セクシャルマイノリティにはロールモデルがあったほうが、悩む人にとってお手本にできるから良い」「原因もいくつか代表例を作っておくと良い」「『わかる』と安心できる」と言う人と出会いました(その人はゲイでした。)。わたしはそれに強烈な違和感を抱いていたのですが、その時はその違和感を言語化できませんでした。もう数年前の話ですけど。それを最近になって考えなおす機会があったので、このような2つのエントリが出来ました。確かに、悩んでいる時に、「あなたが◯◯なのは、一般的に××が原因で、気づいたきっかけは□□という場合が多いよ」とか言われたら、ああーそうなんだ、と納得できたり、いや自分はそうではないから、と次を考えるきっかけになったりするかもしれません。良い物なのかもしれません。でもわたしは納得できませんでした。原因が分かったからってどうなるの?それを「改善」したら、「治したら」いいの?という気持ちもありましたし、「自認」なのに他人の言う枠に入っちゃっていいのかな、とか、「マイノリティ」「グラデーション」と言っているのに、結局多数派に落ち着かないとやっていけない世界なんだ、みたいな失望というか、そういう気持ちになったりもしました。人と違うことに恐れたり、困ったりしてセクシャルマイノリティコミュニティに来たのに、また、人とは違うことを分かりやすく説明できるような何かにならざるを得ないような、そういう圧のある場所は嫌だなと、その人と喋っている時に思っていました。

 ロールモデルは必要なのか、原因は必要なのか。自分のセクシュアリティを、人に説明できるような、単純なものに落としこむ必要があるのか。ていうか説明したら分かってくれるわけ?(わかって「くれる」という言い方がまず気に食わないんだけど!)(マイノリティの中のマイノリティであれば、ここが「不利」ってやつですよね)

 

 などなどという理由から出来たのがこの2つです。一応繋がっているんですよ~みたいな話でした。