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BL、生活、その他いろいろ

「レインボー」と「LGBT」が苦手だ

2020.5.3追記  

無断で、とあるアカウントのタイムラインに、そのアカウントとわたしが関係者であるように読める文章と共にこの記事がbotを利用してツイートされているのを確認しています。(2020.05.19 botから消されたのかな、相変わらず特に連絡はないので確定ではありませんが、botの運用を「皆様の意見によって」改訂したそうです。裏で、他人のブログを内容も含めて無断でツイートすることの是非を訊かれてバカにしてたの知ってますけど。とにかくあのアカウントや運営している人間とは全く関係ないですし、はっきり言えばあのアカウントと運営自身の発言には反対というか、倫理的にあり得ないと思うレベルですので、今後も関係したいと思っていません。わたしのブログは、「わたしが思って、考えて、書いたこと」としてお読みください。そして、直接のご意見はコメントにどうぞ。感想はどこででも書いてもらえるのはありがたいです。)

前回の追記ではぼかして書きましたが、最初から無断で使われていたことは把握しており、追記により無断での記事拡散は止まるかと思いましたが止まりませんでした。

そのアカウントは、複数の人間が運営に関わっているそうですが一向に誰が関わっているのか明確にせず、主語が大きく、「~な人もいます」という話法を多用し、他人のブログを無断で使用し、単語説明ツイートを頻繁にしていますが、その情報の根拠や出典が明確ではありません。また、最近では他アカウントのRTがタイムラインを占めているようです。

全く軸のないアカウントに見えますが、たまに運営者の個人的な思想がアセクシャルと結びつけられてこっそりツイートされている、そういうアカウントの、うすっぺらなアイデンティティを補強するために、わたしが今まで「しおり」という名前で書いてきたブログから、一つのタイトルと、一文を抜き出して使用されていることに、怒りを禁じ得ません。失礼にもほどがあります。

 

あまりに失礼ですが、運営者の内の一人を特定した際、関わりたくないと思ったので、抗議するよりはこの記事自体を消してしまおうかとも思いました。ですが、そのアカウントの意図とは別に、純粋にこの記事を読んでくださる方もおられるだろうと思い、消しはしません。その代わり追記することにしました。心当たりがある方は、これを読んだならわたしの記事をbotで流すのは止め、また過去のツイートも消してください。

ご自身のnoteでは月々、または記事ごとにお金をとっているみたいですから、文章を書くことの手間と価値をご存知だと思います。その上で、わたしのブログは無断で、無料で、わたしの意図とは関係ないところで使用してもいいと思われたのでしょうか。手動ですらなく、botに登録して自動で流せるようなものだと思われたのでしょうか。

あまりに不愉快。舐めた態度で、敬意も払わず、自分勝手に、わたしが積み重ねてきたブログというものの、大切な一部を切り貼りするような人間と、同じ「コミュニティ」にいられる訳がないでしょう。ふざけるのもいい加減にしてくださいね。

 

 

2020.4.14追記

この記事の拡散およびアクセスが最近多いようなので3年ぶりに追記します。

本文の出だしに明確に書いていますが、これは「わたしはこう思った」という話であり、「アセクシャルの人たちはこう思っています」「アセクシャルである"わたしたち"はこうである」という話ではありません。この記事に共感していただいたり、なるほどと思ってもらったり、いや違うでしょうと思ってもらったり、反応いただけると嬉しいですが、あくまでもこれは「わたしの意見」です、ということを理解していただいた上で読んでもらえると幸いです。

基本的にこのブログの記事は「わたしはね、」というスタンスで書いています。他の記事でもそう書いていることが多いです。誰かの依頼で記事を書くこともありません。

 

あと日付も見てもらいたいんですが、これは2017年5月の記事になります。わたしの中での意見は変わりませんが、2020年現在から3年も前のものであることはご了承ください。

 

****

 「レインボー」と「LGBT」が苦手だ

 

 

 わたしは「レインボー」が苦手です。また、「LGBT」という言葉も苦手で、どちらにも強烈な違和感や不信感を持っています、という話をしたいと思います。

 

それにあたって、ひとつわかってほしいのは、わたしは決してレインボーカラーやLGBTという言葉の歴史を否定しているわけではないということです。レインボーフラッグやLGBTという言葉を用いて、運動を行い、セクシャルマイノリティの権利を獲得しようとしてきた先人の方々のことを否定したいわけではないのです。わたしも、先人の方々が行ってきた運動の恩恵を受けています。ですから、否定したいわけでもないですし、蔑ろにしたいわけでもないのです。

 

 ここで話したいのは、「今までの活動を否定し、後退したいわけではなく、進みたいのだ」ということです(この言葉は、このテーマにてついて相談に乗ってもらった方がおっしゃったことです。とてもしっくりきたのでここでも書かせてもらいますね)。

 

 そのことを前提として、現状、「レインボー」や「LGBT」という言葉が用いられている活動に対して感じている違和感について話したいと思います。

 

 まず、違和感を持ったきっかけは、TRPの写真と、新聞社の記事を見たことです。今までも違和感はありましたが、写真をみて一気にその違和感が大きくなったのです。

 

 LGBTという言葉は、セクシュアリティの多様性を認め、表すものだと思っていました。しかし、現状、LGBTという言葉は、その表記のまま、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーだけのものになっているように感じました。「LGBT」という言葉が、性愛者に独占されているように思えたのです。TRPに参加したことはないので、偏見も含んでいるということも踏まえて言いたいのですが、「LGBT」という言葉は、四つのセクシュアリティを表すものだけになっており、また、「レインボー」という色は、その四つセクシュアリティの権利を表現するのもになってしまっているのではないか、というのが写真を見て感じた印象でした。

沢山の写真を見ました。しかしそこで映されていたのは、「レインボーフラッグ」を掲げ、「LGBT」の権利を主張する人々でした。同性婚の成立を望む人、好きな人に好きだと言いたい人、ゲイであることを誇りに思っている人....彼らは一様にして「レインボー」を掲げていました。そして、自分が性愛者であることを表し、性愛者の権利を求めていました。

 

 レインボーカラーは、多様性を表すもので、セクシャルマイノリティの団結に繋がるものだと思っていました。LGBTは、すべてのセクシャルマイノリティを表す言葉だと思っていました。しかし、団結していたのは「LGBT」の人達だけであり、「LGBT」として団結するために、「レインボー」が掲げられているように感じました。多様性などないのではないか。団結というものは排除と似ているけれども、それがセクシャルマイノリティの中でも起きてしまっているのではないか。そう感じたのです。

 

 その違和感を表してくれていたのが、まきむぅさん(牧村朝子さん)のツイートでした。

LGBTって言葉が広まり、近頃「虹色」という一色の色ができてしまったように感じるの。でももともと、虹ってね、みんなバラバラなまま共にあるって象徴じゃない?自分はLGBTなのか確信がない人も、シブヤ系にキラキラできないって人も、虹に染まんなくたって、いいと思うのよ。

— まきむぅ(牧村朝子) (@makimuuuuuu) 2017年5月6日

 そのとおりだと思いました。レインボーカラーは、「レインボーカラー」として多様性を失い、ただのアイコンになってしまったのだとおもったのです。そしてそのアイコンが発するメッセージは、「LGBT」の団結と、権利を主張するだけのものになったのだと感じました。

 

 わたしはアセクシャルです。色々な場面で、「LGBT」から排除されていると感じた経験はとても多いです。それは当事者以外の人達からの扱いであることが多いですが、当事者の間でも、排除が行われているということはショックでした。

 

 このことをブログに書くにあたって、とても悩みました。わたしはアセクシャルであり、「恋愛は必要ない」と主張することは、「愛は普遍的だ」として「LGBT」を異性愛者というマジョリティにメッセージを発する運動の足を引っ張ることになるのではないかと思ったからです。水をさすことになるのではないか、それから、レインボーカラーの持つ歴史を否定することになるのではないか。躊躇いました。しかし、わたしのなかの違和感は消えません。マイノリティの中のマジョリティである「LGBT」の人達が、「レインボーカラー」をもちいて、異性愛者というマジョリティに迎合していく。「LGBT」に包括されなかった、団結の輪から排除されたセクシュアリティの人達は、さらなるマイノリティとして取り残される。そういう未来を想像してしまいます。被害妄想かもしれません。でも不安は消せないのです。

 

 「レインボーカラー」を持つことは、「LGBT」の権利を支持することだ。「愛」というものを支持することだ。そういうコンセンサスが出来てしまっているように思います。でも、そうすると「LGBT」以外のセクシュアリティの存在が埋もれてしまう。「レインボー」の中ではそういった人々の存在はなかったことにされる。そうならないためには、個々のセクシュアリティのフラッグを掲げなければならない。「レインボーカラー」では、もはや多様性を表現することはできないのではないでしょうか。

 

 ビジネスの面から考えても、「LGBT」というものはLとG(とBとT)を消費者として取り込むためのキーワードになってしまっていると思っています。そして「LGBT」は、消費者になるために、ビジネス面でも「お客さん」として扱われるために、「LGBT」というワードを強調していってしまっている、マジョリティになることに腐心している(という言い方は嫌な感じで申し訳ないんですけど)のではないか。

 

 少し話は変わりますが、LGBT以外のセクシャルマイノリティに配慮した表現ができていますよね。LGBTQIA....とか、LGBTsとか、LGBT+とか。でも結局それって、LGBTという言葉を四つのセクシュアリティを表すものとすることになるだけで、多様性は感じられません。マイノリティの中のマジョリティである「LGBT」の隣に並ぶことが出来るのは誰だ競争みたいなものになっているのではないか。そしてその競争の基準を作るのは、マジョリティである「LGBT」なんじゃないかって考えたことがあって、とても嫌な感じでした。

 

 そんな訳で、わたしは、最近の「レインボー」と「LGBT」という言葉に多様性を感じることは出来ませんし、苦手です。アセクシャルとして「LGBT」から排除される側であるから余計にそう思うのかもしれません。

 

 こういうことを言うのは、本当はやめておこうと思っていました。それはさっきも言ったように、活動に水をさすことになるのではないかとか、そういう風に思っていたからです。とても悩みました。でも、その躊躇いを越えて、わたしは敢えてここで言いたいです。今の「レインボー」と「LGBT」には多様性がないと感じています。アセクシャルであるわたしは、マイノリティの中のマイノリティとして取り残されていると感じています。

わたしは声を上げます。わたしは今の「レインボー」と「LGBT」が嫌いです。タイトルには苦手って書きましたけど、本当は嫌いなんです。

 

 マイノリティが声を上げていく時、マイノリティの中のマイノリティが取り残されてしまうということは、セクシュアリティの分野だけではなく、フェミニズムや、各種権利の主張の際にしばしば起こることです。そのときは、マイノリティの中のマイノリティは声を上げることが必要だと思っています。他の分野においてい、わたしは、マイノリティのなかのマジョリティであることが多かったので、あまり違和感を感じずに運動に参加していました。しかし、セクシュアリティの分野でマイノリティのなかのマイノリティになった今、とても怖いです。みんな、こんな恐怖の中できちんと意見を発していたのだなと思うと、わたしもわたしの考えを表すことが必要なのではないかと思いました。なのでブログに書いています。書きながらも怖いなと思っています。

的はずれな意見かもしれません。偏見や先入観による被害妄想かもしれません。でもわたしは今怖いと感じています。違和感を持っています。

そのことは、声を上げなければ気付いてもらえないと思いました。

 

 冒頭にも書きましたが、わたしはLGBTの運動を否定したいわけではありません。セクシャルマイノリティの歴史と、そこで蓄積されたものを、否定したいわけでもありません。進みたいのです。進んでいきたい。

 

 わたしは今、具体的な運動をしているわけでもないですし、パレードに参加してプラカードを掲げることも出来ません。まだ怖いです。でも、アセクシャルのオフ会を開いたり、違和感を発していくこともひとつのアプローチではないか、と相談にのってもらった方に言っていただきました。嬉しかったです。

その嬉しさを糧に、ブログを書きました。誰かに理解してもらえるといいなと思って。また、わたしと同じ違和感を持つ人がいたら、その人にわたしもそうだよと伝えたくて。

 

 

 わたしは「レインボー」と「LGBT」というアイコン、言葉が嫌いです。

 

 

 

追記

また詳しく書きますが、この記事の中で、中島美嘉さんがおっしゃっている内容が、わたしの不安であり、恐れている未来のひとつです。

http://www.asahi.com/sp/and_M/articles/SDI2017050952061.html

→書きました  http://si0r1.hatenablog.com/entry/2017/05/14/011033

 

追記②

このブログを読んでくださった方の感想が、それだ!というものだったので引用させてもらいました。

 

「レインボー」と「LGBT」が苦手だ - 333 https://t.co/M40xeN4BP6
某パレードに馴染めなかったのは、この方が書いている内容に似た事を私も感じたからなのだろうな、と。あそこは性愛者の為の場で、そうじゃない私にとっては地雷原を歩く様なものだと感じてしまう

— 羽月 (@haduki176) 2017年5月10日

聞きたくもない色恋話を逃げ場のない場所で聞かされているような気分になる。ほとんどの人が、我々は性愛者であると主張している場に見えたから、あぁ、お呼びじゃありませんでしたね。了解です。帰らせていただきます。と怯んでしまう。

— 羽月 (@haduki176) 2017年5月10日

AやNonな方も参加して、我々もいるぞ!と主張されているのも知っているし、非常の心強く思えるのだけれども、視界に映る光景のほとんどが暴力的なまでの性愛性愛性愛ずくめ。普段歩いてたってそうそうお目にかかれないまでに性愛的な価値観が溢れていて、胸焼けを起こすというか。

— 羽月 (@haduki176) 2017年5月10日

 

 わたしもそうなんです。 性愛者の人達に囲まれているということが驚きというか、怖いというか、とにかく好きではないです。わたし、電車に乗っているときに、サラリーマンの人が結婚指輪してたり、カップルが話していたりするのを見ると、ああこの空間、この車両の中にいる人はほぼ性愛者なんだなと感じて、鳥肌が立つのです。性愛者が苦手というわけではありませんが、性愛者が自身を性愛者だと主張するなにかを身に着けていたりするのが苦手なのです。そんなわたしにとって、セクシャルマイノリティのイベントに行くことは結構苦痛でした。 

 パレードとかって、こういう性愛者もいるんだよ、ということを表明する場ですから、色んな人達が色んなセクシュアリティを持つことを表現していることは何らおかしなものではないというか、そういう自由が得られる場所ではあると思うのですが、非性愛者であるわたしにとっては、暴力的なまでの「愛」「性愛」で殴られたような気になるのです、というと大げさかもしれませんが。

しかし上記のように、「レインボー」と「LGBT」がLとGとBとTという性愛者(トランスの方の中には非性愛者の方もおられるかもしれませんが)を団結させようというものだと捉えた場合、「レインボー」や「LGBT」は非性愛者を排除するものになっていると考えてしまいます。圧倒的な性愛者の数に押され、肩身が狭い思いをしているというのが正直なところです。あと怖いですし、嫌な気持ちにもなります。恋愛賛美には賛同できないからです(この話もいつか書きます)。

 

そんな感じで、わたしがブログで書かなかったこと、表せなかったことをすっきりと文字にしてくださった方いたので、わー分かる!とおもって追記にしました。

文房具擬人化

なんか平和な擬人化ないかなーと、ふと、文房具とかどうだろう、と思い付いて楽しくなっちゃったのでブログにまとめようと思います。


○鉛筆くん
芯が強いツンデレくん。あるときはHレベルのツンツン強気、あるときは2Bレベルの柔らかでれでれ。そんなツンデレだけど、子供から大人まで色んな人から愛される人気者。

○消しゴムくん
粘り強く、芯も強いけど、ある日いきなりぽっきり折れちゃうメンタル不安定な子。人見知りで、最初はつんつんしちゃうけど、そのうち丸くなってきて、仲良くしてくれる。修正液くんとは志を共にしていてよい仲間同士。修正液くんの弟修正テープくんはちょっとにがて。

○修正液くん
消しゴムくんと仲良し。ちょっと湿っぽいところもあるけど、仕事はよくできる子。弟は修正テープくん。

○修正テープくん
スタイリッシュ。お兄ちゃんとは違って仕事は速いが後からぼろが出る場合も。万年筆くんとは相性が悪い。たまに消しゴムくんや他の筆記具くんたちに削られて悲しんだりしてる。

○万年筆くん
お上品だけどアレルギー体質。鼻がつまったり、鼻水がどばーと出たりするので、いつもティッシュ箱を持ち歩いてる。修正テープくんとは相性が悪い。なんか引っ掛かってうざいと思っている。

○ボールペンくん
とても平凡だけど、いろんなところで確実に仕事をこなす堅実な性格。修正兄弟とは仕事関係でとてもお世話になっている。

○カスタム型多色ボールペンくん
ちゃらい。パートナーをとっかえひっかえしている。相手が細かろうが太かろうがお構い無し、来るもの拒まず去るもの追わずのプレイボーイ。

○消せるボールペンくん
若くて人気者だけど、消しゴムくんや修正兄弟からライバル視されている。学生には人気だが、フォーマルな場所では厄介者扱いされている、若干不憫な子。

○油性ペンくん
仕事を確実にこなす。消せるボールペンくんのことを少し軽んじているところがある。しかし確実すぎて頑固な一面もあり、この人もこの人でちょっと厄介。一回居座ったら退いてくれない。修正兄弟でもフォローしきれないときがある。

○定規くん
背が高くて細身の、ストイックな性格。何事にもまっすぐ向き合うため、いろんなところで重宝されている。三角定規くんなど兄弟が多い。

○糊くん
粘着質。超粘着質。仲人としては最高の働きをしてくれるが、仕事外ではかなりの粘着質さを発し、下手するとストーカーみたいになる。つきあい方を間違えるとちょっと厄介。

○紙くん
どこにでもいる。無垢。糊くんとの相性ばっちりで、よくパートナーとの仲人してもらっている。どんな相手でも仲良くできるスーパー万能な子。

○はさみくん
切れ味がいい、さっぱりした性格。その一方で相手を好きなようにいじくりまわし、自分の好きなようにするのが趣味兼仕事というちょっと変態っぽい一面がある。



など、思い付いたのはこれぐらいです。楽しかった。おわり。

オフ会の振り返り

去年から、関西でのオフ会開催を始めました。初めての時の記録はしてあるんですが、それ以降のオフ会についてちょっと振り返りたいと思います。

まず、去年は4つ開催の予定をしました。5月ピクニックオフ、6月薔薇見るオフ、10月関パレオフ/薔薇見るオフでした。
関パレオフは中止にしたので、実質3回のオフ会を開きました。
そこで15人弱位の人と知り合うことができました。楽しかったです。

開催していて思ったのは、わたしのオフ会には、まったり感を求めて来てくださってる方が多いのかなーってことでした。わたしのオフ会は飲酒なし、外食なし、それから野外ということで、セクシュアリティについてじっくり話すようなオフ会ではないので、物足りないと感じる方も多いかなと思っていたのですが、嬉しいことに、それでも来たいと思ってくださった方がいたことに驚きでした。
セクシュアリティに気を使わず、ただ遊ぶ(といっても花見とかですけど)ことが、わたしの望みだったのですが、わたしだけじゃなく、他の方にも一定の需要があるのか、と思い、そこが意外でした。場所とかも代わりばえしないのに、1回だけでなく、続けて来てくださった方もいて、嬉しかったです。

また、ゆるいからこそ来やすい、ハードルが低いと思ってくださった方もいて、良かったなと思いました。
これらのオフ会は、わたしにかかる負担を最小限にしてあって、楽したいという気持ちが最優先なので、ほんとに毎回、主催者として何かをするということがなくて、ゆるゆるとした雰囲気になりがちなので、なんか申し訳ないなという気持ちもあったのですが、そこがよさそうといってもらえたのはとてもありがたいことです。

話すことを目的に、お店とかの予約をするようなオフ会を開催することは今後もないと思いますし(わたしへの負担がそこそこあるから)、また同じ場所でおなじように薔薇をみるとか、2年目もそういうことしかできないんですが、それでもそこに興味を持って来てくださる方がいらっしゃったらうれしいなと思っている次第です。

また、今年の冬には、Skypeを使ったお話し会をするようになり、我ながら面白くて楽しかったです。Skypeお話し会の利点は、遠方の方ともさらっと繋がれるところで、普段野外ではしゃべることができない、深いところまでお話しできるところです。もちろん、セクシュアリティの話だけでなく、雑談とかでもいいんですけど、とにかく手軽で、よかったと思います。ただマイナスポイントとしては、お互いそれなりにコミュニケーションをとるスキルがないと話が進まないという点で、そこについてはピクニック等に比べるとハードルが高くなるかなと思っているところです。


反省点も沢山ありましたが、参加者さんたちの人柄の良さに助けられ、とにかくわたしは楽しく過ごすことができました。
それと、わたしのオフ会で知り合いになられた方々が、その後お友だちになられたりしているのを見ると、とても幸せな気持ちになります。オフ会開いてよかったなあと思うのです。

需要がある限り、今年も続けていきたいと思いますし、去年は中止にした関パレオフも、できたら今年はやってみたいなと考えています。


おしまい

追記
オフ会についての情報をほぼ記録していないことに気づいたので追記です。

5月
京都市内でピクニック
わたしふくめ8人で、ご飯時に二時間ほどごはんとお菓子を食べながら話しました。趣味の話をするグループと、セクシュアリティの話をするグループに別れていたように思います。わたしは趣味グループにいて、映画とアイドルの話ばっかりしてました。

6月
午後から京都市内の薔薇園で薔薇観賞
わたしふくめ4人。はじめの一時間は園をぐるっと回りながら写真を撮ったり。後半は休憩所でアイス食べながら趣味の話を主にしました。セクシュアリティの話もちょろっと出たかな。

10月
関パレオフは中止。
薔薇見るオフ2は、昼頃から、わたしふくめ四人。二時間ほど薔薇を見て、レストランでお昼。そこでセクシュアリティの話をしました。基本的にオフ会ではお店は使わないという自分ルールを決めていたので、その会はお店でご飯をとったという点で例外でした。

Skypeオフ会
11月頃から月1程度で開催。基本的にわたし含め三人まででやっていました。セクシュアリティの話中心。一時間から二時間程度で終わるようにしています。

正月親戚から「彼氏できた?」と聞かれることへの対処法について相談させてもらった

あけましておめでとうございます。正月が来ますね。わたしの正月では親戚一同集まってご飯を食べたりするのですが、そこで必ず「彼氏できた?」と聞かれ、それがものすごく苦痛なので、それに対してどう返事すべきか、ということについてフォロワーさんに相談に乗ってもらいました。わたし個人が今置かれている状況を踏まえた話なのですが、もし似たようなシチュエーションに置かれている誰かの役に立てれば、と思い記事にします。

 

今回はフォロワーさん二人に相談にのってもらいました。

 

①わたしの現在おかれている状況について

②そもそも何故みんな恋愛の話をしてくるのか

③恋愛の話についての反応の仕方と、その各方法の欠点について

④結論

⑤おまけ

という話の流れでいきたいと思います。

 

 

①わたしの現在

わたしは今24歳、学生、双極性障害、今まで恋人ができたことはない。

そして、わたしは必ずホストとして集まりに顔を出し、手伝いをしなければならず、それをしなかったり下手な言動をすると「親のしつけが悪い」などと言われる。

結婚や恋愛についてあいさつのように話を振られる。特にめっちゃめちゃマウンティングをしてくる叔父と、スタンダードな人生でスタンダードの頂点を目指す意識高い系従兄弟が超うざくて大きな問題。

 

 

②そもそも何故みんな恋愛をしてくるのか

1)恋愛の話はあらゆる人間に共通する話だと思っているから

 ・挨拶代わりにしてもいいカジュアルな話だと思われている

 ・特に年の差がある場合、話が合わないことがあり、その中で恋愛の話なら年齢性別関わらず通じる話だと思っている(善意でコミュニケーションを取ろうと努力していてくれる場合もある)

2)若い人の「今」を知りたいと思っているから

3)マウンティングを取りやすいから

 

③対処法として挙がったものとその欠点

1)「興味がない」で通す

 欠点:親戚の価値観と違うので言い争いになる可能性がある

   「なんでなの?」と根掘り葉掘り聞かれる可能性がある

    「男性が嫌いなの?」と勘違いされる

    「興味ない」と分かってもらうために時間がかかる

2)わたしに話を振っても面白くないですよという雰囲気を醸し出す

3)早々に酒を大量にのみ、酔いつぶれ、寝る

 欠点:女が酔いつぶれるほど酒を飲むなんてはしたないと言われる可能性がある

    個人的に酔いつぶれたくない

4)相手の話に持ち込む、他の当たり障りのない話にすり替える

  例1:「彼氏どうなの?」→「うーん、あ、わたしの話よりあなたの話が聞きたいです、あなたは学生のときどうでしたか?気になります」と言って相手に話させて自分の話はしない

  例2:「彼氏できた?」「それより◯◯の話聞いて下さい!」とか言って他の話をゴリ押しする

 欠点:他人の恋話とか聞きたくない話を聞くハメになる

    恋愛の話でなくてもマウンティングかまされる

    小手先のその場しのぎの手段でしかない

5)家から出るしかない

  欠点:難しい

 

 

④3、4は本当にその場しのぎで、今後長期的にわたしが親戚との関係を続けていくのであれば、その場しのぎでは今後やっていけない。

 長期的なことを考えるのであれば、「興味ない」「わたしは恋愛の話しない」と主張し続けて周りに諦めさせるように頑張る、つらいことがあっても「興味ない」と言い続けていく方がいい。

5は現在のわたしにはできない。

 うつであったことを思い出すと、うつのときも周りから「メンタルが弱い」「甘え」「親の躾が悪かった」と初めの頃は言われていましたが、うつ(から双極性障害)が長引くにつれ、周りも、「この子はそんなものだ」「仕方がない」という認識に変わっていったので、うつのときのように時間をかけて「それが当たり前」「特に今更話題にするものではない」という認識になるように主張していくのがいいのかなと思いました。

 

 ということを含めて、わたしに合うのは長期的な方法だなという結論に至りました。

 ただ、結局これが効果的!という答えは出ませんでした。正直この問題に答えは出ないと思います。人それぞれ置かれている状況は違うと思います。今回出た案の中で、現在のわたしがとれる一番ましな案、ということで、今年はそれでやってみよう、ということなので。

しかし、24歳という年齢から、長期戦を目指すのは厳しいと考えています。わたしの中では年齢がネックになって、そろそろ結婚の話も出てくる年齢、より一層結婚への圧力がかかり始める年齢から抵抗を始めるというのはなかなかつらいものがある。もっと早くに始めておけばよかった。長期戦、っていいますが、いくつになったらその戦いは終わるのだろうか。つらい。

 

⑤おまけ

フォロワーさんと話していたら、「正月のあつまりは大人と子どもの居場所は分けられている」という話が出てきました。大人は大人ばかりが集まるテーブルがあって、子どもは子ども・母親のためのテーブルを囲んで、そしてまた別の場所が子どもたちが遊ぶ場になっている、という場所の区別がついているのですが、姪や甥の恋愛や結婚の話が出るのは特に大人のいる席で行われる、という話だったんですが、たしかにそうなんです。なのでわたしは、大人の場には極力近づかず、子どもの場に身を隠すということはいままでやってきました。本当に大人の席と子供の席では扱いが違うんです。今まで無意識にやってきたことなんですが、ああそういうことだったんだ!と気付きましたし、これがあるあるだったのが興味深かったです。

 

とにかく正月を穏やかに過ごしたい。ありがたいことに今年例の従兄弟は帰省しないらしいのでちょっと楽になりました。これで伯父もこなければいいんですけど。

頑張ります。

地方とセクシャルマイノリティ

 わたしは近畿地方の田舎に住んでいます。セクシャルマイノリティとして生きるには、地方住み、田舎住み、それから実家住みというのは結構しんどいところもあるんだよという話と、その上でわたしが都市部でオフ会を開いているのは何故なのかってことが今回の話です。(多分そのうち加筆修正します)

 

 わたしがセクシャルマイノリティであり、またアセクシャルであることによって困ることをリストアップするとこんな感じ。

1.地域社会で暮らす中でセクバレ(セクシャルマイノリティだと周りにバレてしまうこと)するとかなり厳しい状態に置かれる

2.実家ぐらしの場合、セクバレは私だけでなく家族の生活にも影響を及ぼしてしまう

3.結婚しないという選択が異常だという考え方をする人達が多くてつらい

4.地元にセクシャルマイノリティのコミュニティがない

5.都市部にあるコミュニティやオフ会への参加に非常にコストがかかる

6.コミュニティ外にいるためネット以外で情報が入ってこないし、継続的な繋がりも持てない

7.地元で活動しようにも、セクバレのリスクが高くなる

8.なにより、田舎で生まれ田舎で暮らすということはわたし自身ではどうしようもないことである

 

など。

8が一番きついことなんですけど、もう本当にこればっかりはどうしようもない.....。

そんな中で、とにかく怖いのがセクバレ。やはり田舎では「セクシャルマイノリティ」というものは受け入れられない場合が多いし、異端は地域社会のコミュニティから排除されます。その際排除されるのはわたしだけでなく、家族や親戚も含まれるでしょう。地域社会において、噂が広まるのは早いです。保守的な人達から、差別的な扱いを受けるだろうということは、非常に恐ろしく、絶対に避けたいというのがわたしの考えです。

 

 しかしそうやっておびえ、カムアウトできない状況というのは非常に孤独感を感じます。周りが理解してくれないだろう、わたしは異端だという意識を持ったまま暮らすのはしんどい。ネットでの繋がりがあるだけましですが、やはり日常的に「自分と同じような人が存在して、生活している」という実感はネットだけでは得られません。セクシャルマイノリティのサークルに入ったり、自分でオフ会を開いたりしてから、この感覚、自分と同じような人がいるという感覚を持てているかということは結構大切なことだと思うようになりました。出会うこと、相手の存在を直接認識できるということで、とても心強く思えたり、自分の存在の肯定にも繋がりました。また、コミュニティに参加するということもやはり孤立感の解消することにつかがると思います。

しかし、そもそもわたしの地元にはコミュニティがないですし、多分他の地方・田舎にもあまりそういうコミュニティってないんじゃないかと思います。あっても、そこに参加することでセクシャルマイノリティだとばれる可能性があると考えると、参加しづらい。

関西では大学のサークルがわりと存在するのですが、社会人であったり他大学生であったり、アクセスが悪い場合にはやはり参加しづらかったり、参加条件(学内生のみ、当事者オンリーなど)が満たせないと入れないというところもあります。コミュニティにしろサークルにしろ、生まれた場所、年齢、仕事や学業の都合で住んでいる場所など、自分の都合ではどうしようもない部分で参加へのハードルがぐっとあがってしまうんだなと感じています。

 

 やはり問題なのは、地方住みの人間はどうやって自分の参加できるコミュニティを探すのかということと、コミュニティが見つかったとしても、それが都市部にある場合が多く、「出会い」のためのコストが非常に負担が大きくなるということです。関西だと、コミュニティやイベントが多いのは京都とか大阪とかなんですけど、そういった都市部までの交通費や時間は結構な負担です。それに、知らない土地、つてもない場所に行くのには勇気もいるし、どんな人達がいる集まりなのかという情報もほぼ得られません。せっかくお金出していったのに、外れだったとか、嫌な思いをしたみたいなことになったらとても損した気分になるだろうから、と躊躇してしまうところもあります。

だからといって、地元で出会いを探すのも大変で、セクバレの可能性も高くなるし、変な人と出会っちゃった場合で、しかもその人と生活圏かぶっちゃった場合とか、めちゃくちゃ面倒になりそうで、あんまり積極的にはなれません。

そんなかんじで、そもそもセクシャルマイノリティ関連の出会いの場を「見つけ」、「参加」すること自体、難しいものになっているなというのがわたしの実感です。

 わたしはたまたま、自分も参加できる大学のセクマイサークルに出会ったので、そこに所属しています。そこではセクシャルマイノリティがこんなに身近に存在するんだ、という実感を得ることが出来ました。しかしサークルの活動以外の、バーとかイベントとかには行きづらいですし(つてもないしアセクだし終電がめちゃくちゃ早い、実家住みなので親に行動を把握されており、にどこ行ってきたの?とか聞かれたら困る)、オフ会は自分で開催するまでは行ったことがありません。色んなセクシュアリティの人達が集まる場もいいけれど、アセクに特化したイベントとかにも行ってみたいなーと思って探していた時期もありましたが、安心していけそうだなと感じたオフは関東圏のものしか見つかりませんでした。

 

 

 それでですね、その打開策?として、わたしは今自分でオフ会を開いています。場所は京都、募集はツイプラを使っています。関西でオフ会がないのなら自分で開催してしまえばいいと思って。探しやすいように募集はネットでやっています。やはり京都まで行くには電車賃も時間もかかるのですが、地元から離れていて、でもぎりぎりアリかなという距離の場所で、かつ参加者さんもアクセスしやすいのではないかという場所、と考えて決めました。人の多い都市部だったらそこで多少何があってもわたしの居住地にまでは影響が及ぶ可能性は低いであろう、ということも考慮しています。

 オフ会を自分で開くことのメリットは、オフ会に行くときに問題となる交通費、時間、その他コストを最低限に抑え、アクセスの良さ、セクバレの可能性の有無、楽しさ、気軽さというハードルのいくつかを自分の都合の良いように、低めに設定できる点です。その辺は楽ちんです。しかし、やはりオフ会を開くときは都市部で行うので、地方から参加してくださる方からしてみたら、結局わたしのオフ会でもハードルが高いと感じる方も多いと思います。

 なので、わたしのオフ会に参加してくださる方は関西圏の人で来やすいところに住んでおられるのかなーと思っていたのですが、驚いたことに(そしてありがたいことに)、今までの参加者さんで結構遠方から来てくださる方も多いんです。中部地方や関東地方など。

 

 ここで唐突に、ふと疑問に思ったんですが、都市部の人だったらオフ会に参加しやすいのか、地方住みだからオフ会に参加しづらいのか、という点でした。

 

そこで先日、オフ会への参加についてアンケートを取りました。その結果がこれです。

①地方住み、都市部住みでオフ会に参加した経験のある人の割合はどれくらいか

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②都市部住み/地方住みの人で、人と出会いたいと思っている人の割合はどれくらいか

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(素人の作ったアンケートであり、結果の読み方も下手だということは了承していただきたいのですが)まず、このアンケートに答えてくださった方達の中で、地方暮らしと都会暮らしの人が半々であったことに驚きました。もっと偏ってるのかなって勝手に思っていたので。更に、おもったより地方住みの人と、都市部住みの人で、オフ会参加の割合は変わらない(むしろ地方住みの人のほうが参加経験が多い)というも意外でした。ここまで差が縮まるとは思っていなかったです。

 

こうなってくると、オフ会への参加で障害になっているのは地方に住んでいるから、という1点のみではないのではないんだろうと感じました。行く人は行くし、行かない人は行かないんですねー(ざっくり)。行きたいけどいけない、ではなく、そもそも行きたいと思わないという人もいるでしょうし。しかし、このアンケートだと地方住まいの人のほうが、ネット上での出会いで満足しているようなのは、やはり興味深い部分だなと思いました。

 

 ネット上での出会いといえば、わたしは最近「Skype会」というのをやっています。Skypeを使っておしゃべりするというものなんですが、これ超便利なんですよね。コストもかからないし、遠方の方ともお話できるので。オフ会での「実際に自分と同じセクシュアリティの人とが存在していると実感・体感できる」という体験はできないのですが、Skypeを使って、自分のことについて声に出して話すというのは、孤独感や思考の行き詰まりを解消する一つの方法として活用できるのではないかと思っています。

 

 そんな感じで、話があっちこっちしましたが、地方住みのわたしはセクシャルマイノリティとして以上ような感じ方をしていて、こういった方法で孤独感の解消をしています。ただ、これはわたしがアセクシャルであるから意味があるというか、これで充分だなんですが、性愛者の方でパートナー等を探している場合であれば、「(恋愛に発展させるきっかけとなる)出会い」が必要になってくると思うので、わたしのようなやり方では目的の達成は難しいのではないかと、勝手にですがそう思っています。出会い目的のイベントやパーティーに継続して参加するということを考えると、交通費以外の費用もかかると思いますし、なかなか人脈がないと行きづらいのではないかと思って。友人探しであれば、ネット上でも探せますし、さっき言ったようなSkype会等でも対応できるのかもしれないのですが....

 

 地方暮らし一口に言えども、セクシュアリティも置かれている状況も人それぞれで、なんとも言えないのですが、わたしの場合はこういう感じです、という話でした。しかし、オフ会主催をするようになってからこういう視点でTwitter等で見ていると、やはり地方暮らしということをネックに思っている方や、選択肢が非常に限られる原因になっている方も多いように思います。地方とセクシャルマイノリティという問題は、なかなか切羽詰まった問題であり、しかし解決するのは難しい問題....。自分も困っていることですし、なにか良い解決法とか、やり方とかないかなーと模索中です。

 おしまい。