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BL、生活、その他いろいろ

子はかすがい

 仲の悪い夫婦でも子どもがいることで仲が保たれることを子はかすがいっていいますけど、まさにうちの家庭がそうです。わたしや兄弟たちはかすがいです。

 

 うちの父は、アルコール中毒予備軍(もしくはもうそうなのかもしれませんが)で、昔はよく暴力を奮っていたし、無神経な言動は年々ひどくなってきています。幼い頃からわたしも被害にあっていたし、特に母への被害も大きかったので、なんでさっさと離婚しないのか、はやく父親から離れたい、と強く強く思っていました。でも、離婚しない原因も知っていました。母がわたしたちの出産をきっかけに専業主婦になり、経済的に父に依存していて、その上わたしたち子どもがいたからです。それを自覚し始めたのはかなり早くて、小学生になる頃には、自分たちが離婚を躊躇わせる原因になっていると思っていました。こういうの、子はかすがいって言うんでしょうが、わたしは、わたしたち兄弟って最悪な存在だなって思っていました。母が暴力や暴言に耐えなければならないのはわたしたちがいるからなんだろうなと。わたしたちを産んだせいで仕事をやめて、父に経済的に依存し、暴力をふるわれてもわたしたちがいるから離婚できないなんて、わたしたちは母の足かせになっているのだと、そう思って絶望していました。

(ちなみに、わたしの小さな頃からの夢は、いい大学卒業して高給取りになって、結婚したとしても共働きで、働くことの妨げになるなら子どもなんかいらない、という生活を送ることだったんですけど、それは確実にこの辺の家庭事情からきたものです。)

 

 わたしがとうに20歳を越えた今もまだ、わたしはかすがいのままです。ここのところ、母と父の会話は成り立っていません。父は家族から相手にされないことに苦しさを感じつつも家庭のために働いているようです。母は、父の言動に疲れ果てながらも、わたしたちがいるから離婚はしませんし、わたしたち兄弟と仲良くすることで保っているようなところがあります。わたしから見れば、こんな苦しい「家庭」を維持するよりも離婚してしまえばいいと思うんですが、二人共家庭がなくなれば精神的にやっていけないだろうということも感じます。二人共、「家庭」に依存しすぎているから、どんどん拗れていく「家庭」でも維持しないとだめなんです。そして、その維持に一役買ってるのは、「家庭」の解体もしくは改善を望むわたしなんです。おかしな話ですけど。

 

 小さい頃から、もしわたしや弟たちが独り立ちしたら、この人達はどうするんだろう、と思っていました(わたしは母のほうが好きだったので、とにかく独り立ちしたら母はわたしのところに来てもらおう、とか考えてたんですけど実現できそうにありません)。この人達二人は、どうやって暮らしていくんだろう。わたしたちに依存した関係なのに、わたしたちがいなくなったらどうするんだろう。かみあわない会話でずーっとイライラしながら、お互いに失望し合いながら暮らしていくんだろうか。それとも、わたしたちがいるからこんな状態なのであって、いなくなったら関係が改善したりして。わからないですけど、日々みんな疲労していくばかりです。

 

 子はかすがいって、本当に最悪だなと思います。こんなの誰が幸せなんでしょうか。

ピルを貰いに行った

 もともと生理が重かったのですが、この頃の痛みは尋常ではなかったので、とうとう産婦人科に行ってきました。

 生理中に行ってもいいのかなと迷ったのですが、フォロワーさんからも受診を進めてもらい、クリニックに問い合わせてみたところ、生理中でも受診できるし、内診もできるということだったのですぐ病院に行き、一応内診もしてもらったんですが、くっっっそ痛かったです。もうしたくない。

 内診の結果、子宮内膜症とかではなく、ピル(ヤーズでした)で対応してみようということだったので、ピルを処方してもらい、帰ってきました。

 診察の時、ピルの副作用とかあまり説明してもらえず、また院内処方だったため、薬局で副作用や飲み合わせについて知ることが出来ませんでした。一応、飲み合わせが悪い薬はほとんどないよ、と言われていたのですが、帰ってネットで調べてみたら、わたしがいつも服用している薬と飲み合わせが微妙だったので、お薬手帳見せてもっと積極的にあれこれ聞いておけばよかったなあ...と後から後悔しました。

またかかりつけの病院や薬局で相談しようと思います。

 

 ところで余談なんですけど、家で処方されたピルを服用していたとき、それを見ていた高校生の弟が、それなに?と聞いてきて(ピルのシートって珍しい形をしていますよね、わたしも初めて見た時こんな形なんだーと驚きました)生理痛がおもすぎるのでそれを緩和するピルっていう薬だよ、と説明していたのですが、そのとき母親が、女の子は大変なんだよ、痛いんだからね、でも男の子も大変だよね、毎日ひげそりしないといけないし、と言ってきたんです。

 

 あの!そりゃ男性も体のメンテナンスに労力をかけていて大変だとは思うんですけど!女性はヒゲどころか足から腕からなにから全て毛を剃ってるんですけど!?なんでそこを例えにしちゃったかな!どう考えたって毛の処理は女性のほうが苦労してるよ!!!今日だって病院行くにあたり足の毛とか剃っていったわ!と思いましてね。

 

 薬を買うお金だっているわけだし、苦痛の緩和であって一切痛みを感じないわけでもないし、内診だって痛いってひーひー言ってるのにはいすぐ終わりますからね~とか言われつつ(すぐに終わるわないのに!)子宮までなんかよく分かんない棒を突っ込まれることだって男性はないでしょ?もうその時点でわたしは男性が羨ましいし、毛を剃ることを褒められてるのもずるいー!確かに大変なのは分かるけどー!って思うんです。

 

 なんか、女性って無駄なコストとか努力とか必要じゃないですか?外見もそうだし、体のメンテナンスも結構労力がいる。化粧品、生理用品、ピル、それなりの服、髪型、などなど。特に病気を患っていた場合だと更に生きるのにコストかかるんですよね。自分の体を疎ましく思う時もあります。

 健康に越したことはないし、男性にも男性であるがゆえの不便があると思うし、ああやって褒められた(?)弟のことが憎いー!とかではないんですけど、わたしのこれを弟のひげ剃りを一緒にしないで欲しい!と思ってもやもやしたのでした。

 

 婦人科ショックがすごくて、もう数日ぶるぶるしてるとおもいます。

続・アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮)

 アセクシャルってGoogleで検索すると、予測変換で「アセクシャル 診断」というワードがでてきます。この前、ふとしたきっかけでそのワードを見つけたので、調べてみたんですが、検索結果が結構、わたし的にむかつくかんじだったので、記事にします!よ!!

 結構むかつく文章を引用するので、いらいらしてる時とか悲しい時とかには読まないほうがいいです。

 

 

 で、上記のワードで検索すると、結構「脳」とか「性格」とかいう結果が出てきて、それもそれでうえーって感じなんですけど、その中で特に、これは酷い、という記事があったんです。URLとかは載せませんが、さっきのキーワードで調べたら、検索結果のかなり上位に出てきます。一部引用すると、こんな感じ(URLなしで引用するはどうかと思うのですが、それでも貼りたくないくらい、個人的にはいやな記事なので、このブログで直接出典を明記するのはやめます。すみません。多分上記のキーワードで検索すればすぐわかるので、見たい人は探してみてください)。

 

 

以前から恋愛に消極的な男性を「草食系男子」という言葉で表現したり、TVでもそういう人達がいることは取り上げられてきていましたが、最近は「アセクシャル」(エース、Aセクシャル)という単語で紹介されることもあるようです。

そのような影響を受けてか、最近、自分はアセクシャルかもしれない・・・と悩む若者が以前にも増している気がします。

しかし、自己診断で「自分はアセクシャルだ」と決め付けるのは大変危険です。

ホルモン異常や精神的疾患が原因である場合があります

また20歳以下の方は、半分以上が「経験不足による思い込み」なのです。

何かのきっかけで、人格が変わった様に性に積極的になることもあるので心配しないで下さい。

 

まずは「性」に対する心構えを変える努力をしてみてください。

 

 自称アセクシャルが増えた背景には、「偏った性知識」が少なからず影響している気がします。

 これを読んだ時、わたしはめちゃくちゃ怒りました。こんなものが、検索結果の上位に出てきて、色んな人に、特にアセクシャルかもしれないと悩む人に読まれているのかと思うと、いてもたっても居られないくらい、違うよ!!と言いたいです。

 

 勘違いじゃありません。病気でもありません。年齢も関係ありません。経験不足でもありません。偏った知識で「自称」してるだけとかって馬鹿にされる筋合いもありません。

 

 「自己判断は危険」というのは、なんなんだろう?他人に決めてもらわなければ、診断による「お墨付き」をもらえなければ、アセクシャルを名乗ってはいけないのだろうか。「心配しないで下さい」ってなんなんだろう?まるでアセクシャルが異常な状態みたいな言い方ではないか!

 

 「自認」って言葉、知っていますか?わたし達は、自分の性について、自分で考え、自分で受け入れ、自分で認めることができます。自分のしっくりくるところで、自分のために、「自認」をするのです(もしくは「自認」をしないのです)。他人に、「勘違いだ」とか、「思い込みだ」とか言われる筋合いはないし、「真のアセクシャル」なんてものも存在しません。

追記

大事なのでもう一回言いますけど、「真のアセクシャル」なんてものはありません!!そんなもの誰が決めるんだ!誰が決めることができるんだ!いや決められません!

 

 大体、「診断」という言葉が出てくる時点でおかしいんです。異性愛(もしくは性愛)以外のセクシュアリティは「病気」ではありません。誰かに決められるものではないです。

 

 それから、この記事、最後のほうでなんと!少子化に結びつけて話を終えています。少子化問題の解決のために、自分の性についてきちんと考えて下さいとか書いてあります。なんと!!

 セクシュアリティは個人の問題であり、少子化のせいでどうのこうのと言われるのは全く筋違いです。そもそもセクシュアリティの話以前に、わたしたちの人生は少子化等の社会問題を解決するために、お国のためにあるものではありません!!

 

 わたしはめちゃくちゃ怒っています。これ、個人のブログとかで書いてあることじゃないんですよ。あまりにも完成度が低いので、素人ライターが書いているのかもしれませんけど、曲がりなりにも、ニュースやお役立ち情報を配信するサイトに載っています。こういうサイトで、こういう記事が掲載されていて、それが「アセクシャル 診断」というワードの上位に上がってきていることは、わたしの中では信じられないことだし、めちゃくちゃむかつくし、ものすごく悲しいです。

 

 アセクシャルかな、とか、アセクシャルってなんだろう、と考えてネットで調べ物をした人が、こんなものを読んでしまったら、と考えると、すごく、なんだかすごくやりきれないというか、そういう気持ちになります。

 悩んでいる時に、「勘違いだ」とか、「気持ちの問題だ」「経験不足だ」とか、「少子化問題において足を引っ張ってる」みたいなことを言われたら、どんな気持ちになるだろう?「経験不足だ」といわれて、無理をして傷つく人も沢山いるのに。なんて身勝手で、無理解で、想像の足りない記事なんだろう。

あとこれ、多分若者disでもあるんですよね。若者向けの記事なんです。そしてその中でアセクシャルを勘違い、少子化の足を引っ張っているとか、書いてあるんです。そういうところにもめちゃくちゃ怒ってるんですけど。

 

 

今回、アセクシャルであることに原因はあるのか問題(仮)の続編としてこの記事を書きました。前回も書きましたが、わたしはセクシュアリティに原因を求めていません。それから、アセクシャルであることは「病気」でもないと思っています。自分をアセクシャルだと思うことは、自分で決めた結果です。外部から干渉される部分ではありません。他人に気を遣って決めることでもありません。「自認」なんです。自分が認めたから、わたしはアセクシャルなんです。

 「勘違い」だとか、「経験不足」「知識の偏り」「病気」「少子化をすすめる悪いもの」なんてことは、色んな所で散々言われてきたし、自分も今まで悩んできた中で考えたこともあります。でも、これらの「理由付け」は、アセクシャルを理解したり、支援したりしようとして発信されたものではないと思ったんです。外部からの、勝手な推測で、勝手な考え方で、勝手な押し付けです。わたしは、それを気にする必要はないんだと、最近思うようになりました。


 これらの言葉は、外部の人がわたしに「教えてくれる」こういった「原因」は、強固な呪いとなり得ます。わたしが、わたし自身を認めることを邪魔します。不安にさせ、罪悪感を抱かせるものです。こんなものが、しかもなんか、個人的な感想ですけど、それっぽい風にしてるだけで結構適当こいてんじゃないのこいつみたいな記事が、検索結果の上位に出てきたことに、わたしはものすごーーーーーーく怒っているし、悲しいです。

 

 ものすごーーーーーーく怒っているんです!!そういう話です!!おしまい!

 

 

おまけ

 今回の腹立つ記事を読んだのと同時期に、この記事も読みました。筆者さんがアセクシャルだと自認されるまでのお話です。ああ分かる~!という気持ちで読みましたし、「調べてみたら病気かもと書いてあって不安になった」と書かれている部分もあって、今回の記事とも関連するかもと思ったので、貼っておきます。

www.huffingtonpost.jp

 

追記

今回扱った記事、「アセクシャル 原因」で調べるとなんと!2位に出てきます。こんなに目につくところに上がってきているのかとすごくショックを受けました。「原因」を探す人達が見る可能性がとても高いということです。とても嫌な気持ちになります。それで、その検索ワードだと、わたしのブログが3位に出てくるのですが、この勢いで下克上だ!あの記事より上に表示されて、病気だとか一時の気の迷いみたいなことを言ってるやつよりも上に出てやりたい!という気持ちが湧いてきているので、なんかこう、頑張りたいと思います。

 

 

追記2

セクシュアリティに「真の○○」とか、「正しい○○」というのは存在しないと思っています。セクシュアリティはあくまで「自認」するものだという考えを持っているので、勘違いとか、誰かが間違ってると非難することはできないと思います。情報や知識不足で、自分のセクシュアリティをうまく言語化できないという場合があるのは確かですし、そのセクシュアリティの定義を知らずに名乗る人もいるのかもしれません。しかし、だからと言って「正しい○○」の人が、他の人間は間違ってるとジャッジするのは、ちょっと傲慢?無理解?選民思想?なんじゃないの、と思います。そもそも「正しい○○」というのは存在するのか?ということは、ここ最近の記事でも言ってることですが、わたしは「正しい○○」はない、という考えを貫くつもりでいます。同じセクシュアリティでも、個人間で違いがある、ゆらぎがある。アセクシャルは「恋愛感情を持たない+性的欲求が他人に向かない」というのが多分一般的な定義だと思いますが、あくまで一般化されたものであり、たとえばもしセックスできるという人がアセクシャルを名乗っていても、その人が自分をそう思っているのであれば、他人が「間違いだ」と言うことはできないんじゃないかな?と思います。口出しするなとまでは言いません。例えで挙げたような人たちに対して、○○以外にも××というセクシュアリティがあるけど、知ってる?そっちはどう?みたいな会話は、あってもいいなって思いますが(なんかそれも場合によっては失礼だと思いますけど)、一方的に「間違いだ」とか、「本当の」アセクシャルにとって「迷惑」だとか、そんなことを言うのは、なしなんじゃないかと考えます。

 人に迷惑をかけないように、自分が迷惑をかけられないように、そして分かりやすく「正しい○○」であるように、セクシュアリティを決めろと他人に言うのは、おそろしく自己中心なのではないでしょうか。

 また、アセクシャルだと決めつけるのは危険だ、「人生を棒に振るから」という意見も散見します。しかし、なぜアセクシャルだけがこんな言われ方をしなければならないのでしょうか。異性愛者の人達で、自分を異性愛者として信じてやまない人達も、「勘違い」で「人生棒に振ってる」んじゃないんですか?なぜアセクシャルだけがこういう言い方をされなきゃならないのか、結局恋愛するのが第一という考え方の上での言葉ですよね。アセクシャルフレンドリーのように見せかけた無理解だと思います。

 自分のセクシュアリティについて、最低でもネットで検索する程度には自分のセクシュアリティについて考えている人達に対して、あまりにも失礼だし、なんという上から目線!!

 という話です。今回記事を書くに辺り調べてみたら、結構アセクシャルには「資格」がいるでも言うような、アセクシャルという枠の幅を狭くして、ジャッジす人間がいる(のが当たり前だ)という意見もそれなりにあったので、ちょっと気になって追記にしました。繰り返し同じことばっかりいっていますが、いまのところ、ゆらぎがあること、資格はいらないこと、自認は自らが認めて名乗るものだというところは、譲れないので、しつこく書いておきたいです。


追記3

ていうかセクシュアリティについて診断して判断してくれる病院なんてどこにあるんだよって思いました

「大切な人」にカミングアウトしなかった話

 先日、超好きで超大切な友人と遊んできました。中学校からの付き合いで、最近は年一回か二回会えるくらいの人なんですけど、今回は泊まりで二日間遊んできました。ハッピー。

 

 今回、わたしはその友達にアセクシャルであることをカミングアウトした方がいいかな、しようかな、と思って行ったんですが、結局、特にセクシュアリティについて話もせず、カミングアウトもなく帰ってきました。そして、そのことがなんとなく嬉しく思ったのでエントリにしました。

 

 遊んでいる間、彼氏のことや結婚のことも話に出ました。その子はいま、彼氏が欲しいからと積極的に恋人探しをしている人だったので、話の半分くらいは恋人についてと、同世代の人達の恋愛・結婚の話だったんですが、わたしの恋愛事情については聞かれることもなく、わたしがどんなセクシュアリティであっても普通に聞いていられるし、普通に受け答えできるような、そんな会話で、このままこういう関係でいられるのではないかと思えたので、今わざわざセクシュアリティについて話して、カミングアウトする必要はないかなと感じました。

 

 今までなんとなく、セクシャルマイノリティの中では、「大切な人」にはカミングアウトしても大丈夫、しても受け入れてもらえる、したほうが良い、というような雰囲気があると思っていたので、わたしもその子にはカミングアウトした方がいいのかな、知っておいてもらったほうが良いのかな、と考えていたんですが、別にセクシュアリティについて言っておかなければ会話も出来ない、信頼してもらえないというような間柄ではないということを今回感じました。セクシュアリティが違っても、わたしのことを全て伝えておかなくても、大切な人として付き合っていけるという風に思ったんです。

 

 それがなんだか嬉しかったです。

 

 「大切な人」ってワードが、なんとなく縛りになっていたというか、セクシャルマイノリティの中では「大切な人」ってすごく重要なポジションで、いずれカミングアウトとかしなくちゃならない相手みたいな、そんなイメージを勝手に持っていたんですが、別に「大切な人」との中でカミングアウトが第一の問題というわけでもなく、その人と付き合っていく中で必要なら言えばいいし、必要でないなら言わなくても良い、そういうものなのかも、という風に思って、目から鱗というか、その相手との関係の形成の仕方、維持の仕方に新たな、自由な選択肢が生まれたように感じました。隠す必要もないけど、言う必要もない。他の話題について考えると当たり前のことなんですけど、セクシュアリティについては、無条件で告白すべきだ(そして受け入れてもらうべきだ)という「大切な人」信仰みたいなものがあるんじゃないかと勝手に思い込んでいて、「言ったほうが良い」という圧力を勝手に感じてしまっていたんだと思います。

 

 今後、カミングアウトすべきときが来るかもしれない。その時は話そうとは思いますけど、今の段階では必要ないし、相手もわたしの恋愛についてどうこう言ってくる気もないようだし、わたしがアセクシャルだと明らかにして話さなきゃいけない(話すことを求められる)こともなさそうなので、特に気負わずいればいいかな、と思いました。

 

 自分の一部について言わない、ということに引け目をかんじたり、気負わずいられるというのは、結構ありがたいことだと思うので、今回の二日間を後から振り返ってみて、なんだか嬉しかったです。

 

白雪姫のお妃は、鏡を叩き割って怒っても良かった

 白雪姫のお話、知っていますか?

 私はグリム童話で読んだっきりで、ディズニーのものは観たことないんですが、あらすじだけは知っています。

 

 白雪姫のあらすじとしては、昔あるところにとても美しい白雪姫という人がいた。その継母である美しいお妃様は魔法の鏡を持っており、「世界で一番美しいのは誰?」と問いかけては、「それはお妃様です」という鏡の返事に満足していた。ところが、白雪姫が年頃になった時、鏡は「この世で一番美しいのは白雪姫だ」と言った。それに怒ったお妃様は、白雪姫を殺そうとするが、殺しを依頼した猟師が、白雪姫の美しさと可哀想な境遇に同情し、こっそり姫を逃がしてしまう。その後逃げ出した姫は、7人の小人が住む家にたどり着き、そこで楽しく暮らす。白雪姫は死んだと思っていたお妃様は、鏡が「一番美しいのは白雪姫」と答えたことにより、白雪姫が死んでおらず、更に小人の家で楽しく暮らしていることを知った。どうしても白雪姫を排除し、再び自分が一番美しい女性だと答えさせるために、自らがお婆さんに扮し、白雪姫を毒殺しようとする。しかし姫は、お妃様からもたらされる色々危機を乗り越え、最終的に王子と結婚する。一方、お妃様は酷い仕打ちによって死ぬ。

 

 どのお話でも、おそらくこれがストーリーの大筋だと思います。

 それで、私思ったんですけど、このお話ってルッキズムとエイジズムの極み!!みたいなお話ではないでしょうか。お妃様は、自分の容姿が世界で一番だと思っているんだけど、誰かに認めてもらえないとそのことに自信を持てないんですよね。自分の容姿の良さを誰かに認めてもらえなければ、もう落ち着いてなんかいられない、自分が一番でないとだめ、一番になるためにあらゆる手段を用いる。

お妃様のアイデンテティって、容姿がいいことでしかないんですよね。そこを誰かに否定されるともうだめ。

 お妃様は誰がなんと言おうと自分は綺麗だ、って思うことが出来ない。誰かに認められなければならない。認められなければないから、わざわざ鏡に聞いてるのに、鏡は突然「一番美しいのは白雪姫だ」とか言い出す。これってとてもつらいんじゃ、と思ったんです。

 

 ていうか、鏡って何様って感じじゃないですか?誰が一番美しい、とか言って、「美しさ」の基準を勝手に作って、ジャッジしている。何を以ってして美しさの基準を決めているのか?白雪姫が年頃になった途端きれいきれいと言い出すってことは、若さが決め手なの?いままでお妃様のことちやほやしてたのに、いきなり何なの???

 

 わたしここでお妃様は鏡を叩き割って良かったと思うんですよ。自分を認めるために使ってる鏡だったのに、いきなり自分を否定してくるようなものに変わっちゃったんですよね?憎むべきは白雪姫じゃなく、いきなり手のひら返してきた鏡なんじゃない?お前は何様なんだと、人をジャッジさせるために使ってたんじゃないんですけどと。

 

 鏡だけじゃありません。猟師も、小人も、王子様も、若くて美しい白雪姫をちやほやしだす。全て男の目線で見た目をジャッジする。若いか若くないかで扱いが違う。

白雪姫とお妃様を除いたみんな、つまり男性ですけど、彼らは男目線で、人のことをジャッジするのが当たり前のように振る舞うんです。

そして、全ての元凶は鏡ですよ。最初はそこから始まった。

 

 お妃様は、そんな身勝手なジャッジに左右されなくったって、自分は美しいんだって、思っても良かった。若さや見た目だけで人の価値をジャッジするような、そんなやつらなんか気にしなくてもよかった。そうやって人をジャッジしてくるやつらの代表である鏡なんて、叩き割ってやっても良かった。

 

 お妃様は、お婆さんの身なりをして白雪姫を殺そうとするんですね。そして、いじわるで、自己中心的で、美にこだわった醜い「ばばあ」として処刑されるんですよ。一方で若くて美しい白雪姫は、色んな人に親切にしてもらって、王子と結婚する。

すごく、対称的だと思うんです。「若く」「美しい」白雪姫はは素晴らしい。一方、「年を取り」「美しさを奪われた」お妃様は残虐な方法で罰せられ、死ぬ。

お妃様、可哀想じゃないですか!?エイジズムとルッキズムにぐるぐるに絡めとられて殺されるんですよ。

お妃様が「若さ」や「美しさ」に拘るのは、こういう男性目線からのジャッジに合格しなければ、幸せに生きていけない世界だったからではないでしょうか。お妃様が鏡に頼らなければ生きていけない、男性から認められなければ生きていけない、そんな状況で、自分がただ「ばばあ」として捨てられる将来に、危機感を感じたのではないでしょうか。

 

 むかしのプリンセスストーリーって、いじわるばばあvs美しい若い女性、っていう構図になっていることが多いと思います。そして白雪姫では特に、「若さ」「美しさ」(あと純真さも)が話を左右する基準になっていて、お妃様はその基準をもう満たせない存在になってしまったから、死ぬ。

かわいそう!!理不尽!!そんな世の中滅びてしまえ!!

 

 お妃様は、そうやって自分のことをジャッジして、理不尽に不幸に至らしめるような人達に反抗してよかった。自分のことを縛る、「男目線でのジャッジ」に頼らなくても、自分を認めてあげられるような環境でないことに、嘆いても良かったし、怒っても良かった。根本的に悪いのは、お妃様ではなく、「若さ」「美しさ」を満たせない人間は不幸になる、という価値観ではないでしょうか。

 

 そういう価値観を叩き割って、自由になれれば、よかったのに。白雪姫って、ハッピーエンドのプリンセスストーリーの代表ですけど、すごく悲しいお話だと思いました。

 

 

追記

 白雪姫は、自分が幸せになることに消極的というか、待ちの体勢でしたよね。昔のプリンセスストーリーでよくあるタイプの人ですけど。一方、お妃様は自分が幸せになることに積極的なんです。自分が世の中から捨てられないために、色々やる。最終的には自分で白雪姫を殺しにかかる。自分の目的のために、自分の幸せを取り戻すために、動く。だけど、プリンセスストーリーの中では、そういう「厚かましいばばあ」は幸せになれないんですよね。純真なまま、何も知らないまま、何も出来ないまま、とにかく儚げに美しくいる女性が、幸せになる。男性に幸せにしてもらう。

 男性に認められない、男性に保護されない女性は、死ぬしかないのかと思うと、うええって感じです。