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BL、生活、その他いろいろ

自信をお金で買うこと

生活

 信や自尊心は金で買える。と思っている。

 

 昔、私は洋服を買うことにはまっていた。かわいい洋服を見て、買って、着ることは、自分を楽しい気持ちにさせてくれたし、そういうものを買える自分、着られる自分、楽しい自分になれたことで、今までの自分とは違うんだ、というような自信がついた。楽しく暮らせていることで自分の人生もよいものだと肯定できるようになった。

 

 ただ、これはとてもお金のかかる自信の持ち方だった。楽しくなるためには洋服が要る。洋服が買えないとか、気に入った洋服がないとか、そういう場合ものすごく気分が落ち込んだりした。

 あのとき私は、自分自身の内側から自信を生み出すのではなくて、外から自信(=洋服)を買って身につけていた。それはそれでよかったんだけど、洋服を買えなくなったり、洋服の「パワー」を信じられなくなったりしたらそこで終わりなので、結構不安定だったと思う。

 

 それに、この「パワー」を信じるということには結構エネルギーが要る。自分一人で、これは自分を助けてくれるものだ、と信じ続けるというのは時として疲れることだ。なので、「それがいかに自分を助けてくれるのか」という証拠みたいなものを、自分とその何か以外にも見出そうとしてしまう。例えば、この洋服はとても高いので良い物に決まっているとか、こうやって着飾った自分は他の誰かよりも綺麗だとか、知り合いが私の着ている服を褒めてくれた、羨ましがったとか、そういう感じ。自分が誰かより優れていなければ自分を肯定できない、みたいなことになると、「自分を助けてくれるもの」に加えて、「自分より下にいてくれる人」なんかも複数必要になってくるので、自信を得るためのプロセスにかかる時間やコストがかさんできて面倒くさい。 (ちなみに私はあまりにも知人・友人がおらず、家族以外と話さない日も珍しくないほどだったので、服に頼っていた時期も人にほめてもらうとか人を下にみるとかいう方法で自信を得ることはできなかった。方法の善し悪しはともかく理由がつらすぎて泣ける。) 結局人に頼ってしまって、「自分で」自分を肯定できてないから、こうやって得たものは「自」信とは言えないかもしれない。にせものといえばそうかもなという気もする。

 

 コストがかかる上に得られるものはまがいものかもしれない、とか、不毛なかんじもするなあという漠然とした不安を感じつつも、自分だけで、自分を肯定してあげることが難しいと、偽物でもいいと頼ってしまう。なんかこう書くとダメなやり方のように思えるけど、そういう方法も結構効果があるので、悪いことではない。自己否定ばっかりしてしんどいままでいるよりは、多少コストがかかっても、不安定でも、肯定感がある方が幸せだ。実際服を買っていたときの私はそれなりに幸せだったと思う。

 

 なので私は、なんらかの「自信」や「自尊心」は金で買えると思うし、そうすることはありだと思う。

 

 

 ところで、今はあんまり物に頼ってはいない。私、自分のこととっても好き!肯定してる!私ってすごい!楽しい!ってかんじの自信モリモリマンにはなれてないけど、自分を否定しているわけでもない。なんとなく、自分も「あり」かな~くらいの気持ちで生きてるけど、前洋服に頼っていた頃よりは安定して暮らせている。

 なんでそうなったのかは分からないけど、なんとなく昔に比べて、自分を人と比べることが少なくなってきた気はする。あと、自分がどういう人なのかということを気にしなくなった。属性とか、性格とか、そういう。そもそも私は大分クズだし、人よりスタートラインが後ろの方にある。昔はそれがコンプレックスだったけど、今は比べることが不毛だな、私は私のペースでしか生きていけないな、と吹っ切れてしまった。私は私だ。陳腐だけど、そう思うとしっくりきた。

 今は、洋服を着ることは趣味みたいなものになった。趣味よりもっと、人生とか生活とかに近いかもしれない。なので、なくなったら困るけど、でも、なくても私は私を肯定して生きていけると思う。人よりも、とかいう気持ちを持つことなしに、純粋に自分のことだけを考えて洋服を選んで着るのはとても楽しい。

 

 今私は、ものや人に頼りすぎてる人を見るとちょっと嫌な気持ちになる。一個前のエントリで書いた、美顔器ちゃんのこととかも好きじゃない。ものに頼るのがいやというより(それはありだとさっきも書いたけど)、それを人に肯定させようとするのが嫌だ。彼氏がいないと生きていけないのも、どこかの集団に所属してないと自身が持てないのも、不思議だと思う。

 だけど、昔は私も同じようなことをしていたのだと思うと、非難できない。彼女もくるしいんじゃないか、と勝手に同情する。ちなみに彼女は美顔器を買わずにパサパサの顔をして生きている私に同情している。

 

 くるしいんじゃないかな、と思うけど、私は彼女にとって、「彼女を救ってあげられる人」ではないので、なんともならない。彼女を救ってあげるものに価値を与えるおまけくらいのポジションだ。だからといって彼女を救ってあげられる存在になりたいとも思わない。正直、自信を外部から得ている人の「信心」に耐えられる存在で居続けるのってすごくしんどいと思う。私には無理だ。私は私を信じてあげて、信じられてあげて、助けて助けられてってするので精一杯なのだ。

 

 自分を完全に救ってくれる、無条件に信仰できて自分の全てを預けられる、一緒にいるだけで自分も完璧になれる、神様みたいな人やものなんか存在しない、と気づくことが、外部に頼らなくなるための一歩かもしれない。ただ、それに気づいたからといって、自分で自分を信じてあげられるようになるかというと、別にそうでもないけど。きっとタイミングが大事で、そのタイミングが来るまでは、誰に何を言われても気づきは来ないし、来なくてもいいのではないかと思う。  自信を金で買うことは悪いことではない。ただ、それがしんどいなら、買わずに済むようになれればいいなと思う。買わずに済むようになることに焦らなくてもいいと思う。ただ、焦ってしまうなら、早く気づきがくることを願う。もしかしたら完全な神様が現れることもあるかもしれない。神は存在しないとか言ったけど、実は私はスーパー攻め様みたいなチートな人に頼りきりで生きていくことにも憧れている。そっとそばに居てくれる神様も、お互い支え合って暮らしていけるような神様も素敵だ。そういう人が必要なら、来てくれるまでのんびり待っているのもありだ。

 なんにせよ、自分が一番楽しく生きていられるようにしてればきっと楽しい。必要だったら自信は買えるし、放っておいてもそのうち得られると思う。そう思って暮らしてるのが、私にとって一番らくちんなので、そう思って暮らしている。この考え方が間違っているかどうかは、今の私にはあまり関係ない。

 

 昔、洋服に依存していた時は、今思えば不安定だったのだけど、まあそれはそれで良かったのかもしれないと思う。それ自体が良いことだとはいえないんだけど、善かれ悪しかれひとつの経験だった。経験せずに済んだほうが良かったって気持ちはある。だけど経験しちゃったものはもう仕方ないので、経験しなかった人より一つ多めに経験しておけたとでも思って、それも自信につなげてしまえばいいと思っている。そんでブログのネタにでもすればいい。お星様の一つでも貰えれば、それがまた自信につながって、なんとなくいいかんじに生きていく力になると思う。そんなかんじがいい。

 

201412140248 201412150530 ちょっと修正