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BL、生活、その他いろいろ

グレーゾーンおじさんっぽいものに遭遇していたと気づいた話

グレーゾーンおじさんというツイートを見ました。
https://twitter.com/KannanYoshimi/status/863508408619589632

わたしは今まで、あからさまな痴漢(体や性器を触られる、触らさせられる、など)に遭遇したことはないのですが、あれ、あのときのアレはこのグレーゾーンおじさんによるものだったのかな?って思ったことがあったので、ちょっと書いておきたいと思います。諸々書きますけど、結論は痴漢しねです。



今まで遭遇したグレーゾーンおじさんは、「善意」を装っていました。なので、いまでもアレは痴漢とかではなく普通のことだったのかも?と思いはするんですが、明らかにパーソナルスペースに踏み込んできたこと、わたしが不愉快だったこと、恐怖を感じたことから、グレーゾーンおじさん案件だと認定することにしました。アレはグレーゾーンおじさんによる痴漢です。という前提で話します。


事例1
幼馴染みを装ってパーソナルスペースに踏み込んできてべらべらしゃべる

浪人生になって、電車を使うようになってすぐのことです。ある日がらがらの電車に乗っていたら、隣に男性が座ってきて、「○○ちゃんだよね?」と聞いてきました。誰だこいつと思いつつ、そうです、と答えると、「小学校のときによく遊んでた□□だけど、覚えてない?」と言われました。わたしは幼い頃から友達も少なく、インドア派だったので、なんの記憶もなかったのですが、相手のしゃべる内容が、いやに地元の地理などに詳しかったので、相手に全く心当たりはないけれども、そういうこともあったのかもしれない、と思いつつ話を聞いていました。

今何してるの?から始まって、しばらく相手の話を聞かされてたのですが、鬱陶しいし、相手に見覚えもないのにこんなに接近されて怖いな、という気持ちになってきたので、もう立ち去って車両を変えよう、と思い、「友達と別車両で待ち合わせしてるから」と適当なことを言って席をたちました。

そしたら後を追って来られたんですよ。めちゃくちゃ怖かったです。

本当に幼い頃の知り合いだったのかもしれませんが、わたしの名前は定期に書いてあったのを見たら分かるし、本当は見ず知らずの男性に捕まっていたのではないか、なんで後を追われたんだろう、という恐怖でしばらく同じ車両には乗れませんでした。というか今も乗れません。


事例2
マスクを手ずからつけてくれるおじさん

これも浪人生時代の夏の話なんですが、電車ですぴょーと寝ていたら、知らぬ間に隣に座っていたサラリーマンのおじさんに起こされて、冷房が効いてる中で寝てたら喉を痛めるよ、といってマスクをもらいました、までだったらよかったんですけど、そのマスクは、おじさんが手ずからつけてくれました。えっ普通に自分でつけられるけど?!と思いつつ、まあ善意なら仕方ない、とか、もしかしたら幼い子供さんがいらっしゃって、こういうお世話をしてしまう癖でもあるのかなとか思って、その後わたしが下車するまで話しかけられてプライベートなことまで聞いてこられたのもスルーしてたんですけど、電車を降りてから、なんだあのおじさんのパーソナルの狭さは!?と思って、違和感と気持ち悪さが残りました。


で、この二つの事例に共通していることは、えらいパーソナルスペースが狭いこと、善意でやってるっぽい雰囲気で近寄ってこられたこと、相手の男性の話を聞かされなければなかったことです。これを痴漢と呼べるのかどうか分からなかったので、今まであまり人に話したことないんですけど、なんかこう、ある種の欲求をわたしに向けてきた男性たちがいた、善意を装ってはいたけども、初対面の相手に対してパーソナルスペースが異常なまでに狭かった、それから、マウンティングをとってきた、ということから、わたしのなかでこれらはグレーゾーンおじさんによるものと認定することにしました。

身体的な接触がなくても、なにかしらの欲求を持って接してくる変な人達がいるのだなと、浪人時代に学び、恐怖でした。

それから大学に通うようになって、やたら密着してきて腕を組んだ肘で二の腕とか胸とかを押してくるとか、足をぴったりくっつけてくるとか、そういうもっとあからさまなやつらにも遭遇してしまったんですが、これも痴漢ではなくて大柄だから圧迫しちゃってもごめんね~みたいな体でやってくるんですよね。肘で押し返してもだめなんです。こういう典型的なグレーゾーンおじさん案件にも遭ったことがあります。うぜえ


これらのことについて、まあ相手が悪いのは当たり前として、個人的に何が悪かったって、そのときセクシュアリティに悩んでて、アセクシャルなのか男性嫌悪なのかで迷っていた時期だったんですよね。そこに男性不信・男性嫌悪を持ってしまうようなことがあって、自認を決める際の邪魔になったというか、そんな感じで個人的にもめっちゃ腹立つ出来事でした。


not all menと言いますが、そんなことはもちろん承知していて、それでも尚男性不信になってしまわざるを得ない経験があったなあってかんじです。



痴漢やら変質者が全滅すればいいんですけどね。

わたしがアライに求めること

ざっくり言えば、「代弁者」になってくれなくてもいいということです。


先日の記事で少し触れましたが、TRPの記事で、こんなものを読みました。
http://www.asahi.com/sp/and_M/articles/SDI2017050952061.html

ここで、ゲストとして参加された中島美嘉さんについてこのような記述がありました。少し引用しますね。

この記事では、
"「LGBTの方々って恋をしてもまずは『この方は自分を受け入れてくれるだろうか』から始まる。男女間なら、『好きです』というだけなのに」と当事者の気持ちを代弁し、「普通の恋ができない人たちがいっぱいいて、私もおかしいと思っている」と訴えた。今回のライブ出演については、「夢が叶った感じ」と笑顔をみせた。"
と書かれています。

これについて、まず、三つの違和感と不満が浮かびました。一つ目は、セクシャルマイノリティの問題を恋愛だけのものだと矮小化していること。二つ目に、セクシャルマイノリティには悲しい「恋愛ストーリー」があり、それに共感したという形でしか受け止められていないこと、最後に、「代弁」という表現が使われていたことです。

まず一つ目ですが、セクシャルマイノリティが直面している問題は、恋愛関係だけではありません。もっと身近な生活のなかで苦しい、困った、ということは沢山あります。そこを知らずして、恋愛だけにフォーカスを当てるのは、正直に言うと知識不足だなと感じました。よく、「自分はセクシャルマイノリティの友人がいるから、セクシャルマイノリティには理解がある」と言う人がいますが、中島さんもそういうタイプなのかな、というがっかり感がありました。
それと関連して、二つ目の問題として、「セクシャルマイノリティは恋愛において可哀想な人達だ」というような意識があるのかなと感じました。勝手に「可哀想な人達」という「ストーリー」を作らなければ、共感できないのでしょうか。
三番目については、一番の問題点であると感じます。「代弁」という言葉です。これについては、ご本人の発言ではなく、記事を書いた人が勝手に書いちゃったことかもしれないのですが、とにかく「代弁」ということにものすごい引っ掛かりをかんじました。

わたしはアライに「代弁」してもらうことを望んでいません。「代弁」してもらわなくては、自分の意見を自分の意見として表すことができない社会なんて、健全ではないと思っています。
わたしがアライに求めることは「代弁」ではなく、ありのままの自分として存在し、自分自身で意見を表明しても拒否されない、忌避されない社会にするために、支援してもらうことです。決して「代弁」など求めていません。
「代弁」されると、代弁者のバイアスがかかる。代弁者の都合のいいことだけをピックアップされる。代弁者の知識量が問われる(例えば中島さんはアセクシャルのことなんて知らないのでしょう)。
「マジョリティ」による「代弁」には、多くの問題があると思います。

しかし最近、アライは「代弁者」であると謳う人達が増えたのではないかと感じています。あからさまな例であれば、野村證券の取り組みです。この記事を見ると、野村證券における「アライ」というものは、「代弁者」だそうです。
これに関してはこの記事を読んでもらえばいいかなと感じます。
http://dentsu-ho.com/articles/3790
ちょっと引用するとこんな感じ。
"例えば商談の席で、部下について「30歳にもなって彼女もいなくて、このままだと“コッチ”になっちゃうぞと言ってるんですよ」と冗談で話したら、実は目の前のお客さんがLGBT当事者だったとか…。不快な思いをさせるだけでなく、野村はダイバーシティとか言いながら全然違う、と会社の信用も落としかねません。"
"アライは、LGBTに理解のない人に対するLGBTの代弁者のような役割もあるので、たとえば差別的な発言があったときにうまい切り返しをして注意を促すとか、非当事者だからできることをもう少し探りたいと思います。"


他にも色々突っ込みどころが多くてしんどいんですけど、とにかく野村證券における「アライ」は「代弁者」だそうです。「アライ」を増やすことで企業のロイヤリティが上がるとかもうあからさまにビジネス~ってかんじがしますけど(もっとあからさまな記事もあったんですけど、見つけられなかったです)。
ちなみに電通ダイバーシティをアピールするページとかはひどいことになってます。金だな、って直球で書いてます。こんなかんじ。
http://www.dentsu.co.jp/ddl/ 具体的にLGBTがどれだけ金になるかとかかいてます。

「アライ」として当事者を「代弁」する、というスタンスでお金を稼ごうとしている企業が増えています。個人単位でもそうです。「アライ」であると表明することでステータスを得ようと考えている人は結構います。

そういう人達は、当事者の権利を支援しているわけではないですよね。ただ「アライ」という言葉に乗っかって、消費者層を広げたいだけでしょ、と思います。不愉快ですね。実際、お金にならないセクシャルマイノリティへの配慮はないでしょ。

当事者の権利を無視して、恋愛に共感しましたとか、ビジネスにしようとか、そんなことを考えている人のことをわたしはアライとは呼びたくないです。

もちろん、アライの在り方というのは様々です。異性愛者だけどマイノリティについて調べて支援してくれる人もいますし、セクシャルマイノリティのパートナーとして、ある意味では当事者であるアライの方もおられます。
アライと当事者の関わり方、在り方というのは、個人によって違ってくると思います。当たり前ですよね、アライの中にもいろんな人がいるし、当事者の中にもいろんな人がいるわけですから、うまくいくこともあれば、対立することもあると思います。しかし、そういったことを体験してお互いを知っていく、そしてどう支援すればいいのか、どのような支援を受けたいのかが分かってくると思うんです。
そのために必要なことは、「代弁」ではありません。しっかりと話し合える、自分のことは自分で説明し、意見を表明できる場が必要だと思うのです。


わたしはアライに「代弁」してもらうことは望んでいません。ただ、自分の意見を自分の意見として表明できる社会を求めています。そのために、アライには支援をしてほしいと考えます。


それがわたしの望むことです。




余談
カミングアウト済みの高校生の弟に、もし自分がアライだったら何する?と聞いたところ、まず一人でできることではないと思うから、人と金を集める、との回答をもらいました。多分NPOとか国境なき医師団とかあのへんを意識しているのだと思います。じゃあ個人としてできそうなことは?と聞くと、老人ホームにボランティアで話聞くようなものがあるけど、そんな感じでやるくらいしかできない、と言っていました。まあ個人的な話なのであれなんですけど、アライと聞いて思い浮かべるのってその辺なんだな~と思いました。弟にはわたしのセクシュアリティ関係の話を聞いてもらっているので、弟が自分からアライを名乗らなくても、わたしのなかではとても信頼できる支援者だなと考えています。そういうちょっとしたことが嬉しいんですよね。

ピルがないとしぬ

昨年の冬から、ピルをのみ始めたのですが、先月からピルを飲むのをやめました。そしたらすっごいPMSと腹痛とうつとしんどさが出て来てしにそうです。お腹いてえ。


もともと生理が重く、吐きそうなくらい重かった時期があったので、流石にこれはやばいのではと思い、知り合いの方からの後押されてやっと婦人科に行って、ピルを処方してもらったわけです。

ところが、処方の際しっかりした説明もうけず、院内処方で薬局で詳しく説明をしてもらうこともなかったので、不信感を持ったまま暫く飲んでいました。
でも効果はてきめんで、PMSも、腹痛もなく、経血も少なく済んでいたので、ああピルってすごいなあ、もっと早く処方してもらってたらなあとか思ってたんです。

でも最近、なんかもうやだな~って気持ちになって、勝手に飲むのやめたんですよ。
そしたら!腹がいたいわいたいわで今しにそうです。PMSもばんばん出て来て、えええーーみたいな!最近調子よかったから止めてもよかったかなと思ってたけどだめだったー!!ピルないとダメでした。


元々、薬を飲むこと自体に抵抗はありませんでした。長年精神的な病気で薬を飲んでいたので、体調不良を薬で調整することには慣れていたんです。でも、ピルには抵抗とか、不信感とかがあって、勝手にやめてしまったんです(後悔してます)。やはり説明をきちんと受けなかったことが不信感に繋がっていましたし、ピルに頼らなくてもわたしは健康に過ごせる!と思いたかったから、やめたんです。だめでしたね。

精神的な病気の方は、健康という状態から、不健康(病気や怪我)という状態になってしまったものを、もとの健康に戻すために使っているんですよね。でもピルは、女体にうまれてしまったがために背負った痛みとかをコントロールするためのものなので、若干わたしのなかでは両者には溝がある感じがしていました。

生まれつき持ってしまった性質、つまり女であることは、変えられないですよね。自分の体なのに、女であるということで苦痛に悩まされたりして、コントロールできない状態がなんだか屈辱で、ピルに頼らなければならない自分に嫌気がさしていたんです。だから、ピルがなくても大丈夫だと証明したいがためにやめたんです。だめでしたね!!

ていうかピルって高いじゃないですか、それも嫌で。なんで女体に生まれたからといってこんなにお金がかかるんだよと思ったりもして嫌だったんです。

でも、飲まないとわたしはだめだめなんですね。思い知らされました。腹がいてえ。しんどい。

抵抗はまだありますが、またピルを飲み始めたいと思います。あーあ。

1日1錠の薬をやめただけでこんなにだめだめになるなんて、おかしな話だなと思います。わたしの体はなんなんだ。不満だ。


今日中に病気行ってきたいと思います。いやだなあ

「レインボー」と「LGBT」が苦手だ

  わたしは「レインボー」が苦手です。また、「LGBT」という言葉も苦手で、どちらにも強烈な違和感や不信感を持っています、という話をしたいと思います。

 

それにあたって、ひとつわかってほしいのは、わたしは決してレインボーカラーやLGBTという言葉の歴史を否定しているわけではないということです。レインボーフラッグやLGBTという言葉を用いて、運動を行い、セクシャルマイノリティの権利を獲得しようとしてきた先人の方々のことを否定したいわけではないのです。わたしも、先人の方々が行ってきた運動の恩恵を受けています。ですから、否定したいわけでもないですし、蔑ろにしたいわけでもないのです。

 

 ここで話したいのは、「今までの活動を否定し、後退したいわけではなく、進みたいのだ」ということです(この言葉は、このテーマにてついて相談に乗ってもらった方がおっしゃったことです。とてもしっくりきたのでここでも書かせてもらいますね)。

 

 そのことを前提として、現状、「レインボー」や「LGBT」という言葉が用いられている活動に対して感じている違和感について話したいと思います。

 

 まず、違和感を持ったきっかけは、TRPの写真と、新聞社の記事を見たことです。今までも違和感はありましたが、写真をみて一気にその違和感が大きくなったのです。

 

 LGBTという言葉は、セクシュアリティの多様性を認め、表すものだと思っていました。しかし、現状、LGBTという言葉は、その表記のまま、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーだけのものになっているように感じました。「LGBT」という言葉が、性愛者に独占されているように思えたのです。TRPに参加したことはないので、偏見も含んでいるということも踏まえて言いたいのですが、「LGBT」という言葉は、四つのセクシュアリティを表すものだけになっており、また、「レインボー」という色は、その四つセクシュアリティの権利を表現するのもになってしまっているのではないか、というのが写真を見て感じた印象でした。

沢山の写真を見ました。しかしそこで映されていたのは、「レインボーフラッグ」を掲げ、「LGBT」の権利を主張する人々でした。同性婚の成立を望む人、好きな人に好きだと言いたい人、ゲイであることを誇りに思っている人....彼らは一様にして「レインボー」を掲げていました。そして、自分が性愛者であることを表し、性愛者の権利を求めていました。

 

 レインボーカラーは、多様性を表すもので、セクシャルマイノリティの団結に繋がるものだと思っていました。LGBTは、すべてのセクシャルマイノリティを表す言葉だと思っていました。しかし、団結していたのは「LGBT」の人達だけであり、「LGBT」として団結するために、「レインボー」が掲げられているように感じました。多様性などないのではないか。団結というものは排除と似ているけれども、それがセクシャルマイノリティの中でも起きてしまっているのではないか。そう感じたのです。

 

 その違和感を表してくれていたのが、まきむぅさん(牧村朝子さん)のツイートでした。

 そのとおりだと思いました。レインボーカラーは、「レインボーカラー」として多様性を失い、ただのアイコンになってしまったのだとおもったのです。そしてそのアイコンが発するメッセージは、「LGBT」の団結と、権利を主張するだけのものになったのだと感じました。

 

 わたしはアセクシャルです。色々な場面で、「LGBT」から排除されていると感じた経験はとても多いです。それは当事者以外の人達からの扱いであることが多いですが、当事者の間でも、排除が行われているということはショックでした。

 

 このことをブログに書くにあたって、とても悩みました。わたしはアセクシャルであり、「恋愛は必要ない」と主張することは、「愛は普遍的だ」として「LGBT」を異性愛者というマジョリティにメッセージを発する運動の足を引っ張ることになるのではないかと思ったからです。水をさすことになるのではないか、それから、レインボーカラーの持つ歴史を否定することになるのではないか。躊躇いました。しかし、わたしのなかの違和感は消えません。マイノリティの中のマジョリティである「LGBT」の人達が、「レインボーカラー」をもちいて、異性愛者というマジョリティに迎合していく。「LGBT」に包括されなかった、団結の輪から排除されたセクシュアリティの人達は、さらなるマイノリティとして取り残される。そういう未来を想像してしまいます。被害妄想かもしれません。でも不安は消せないのです。

 

 「レインボーカラー」を持つことは、「LGBT」の権利を支持することだ。「愛」というものを支持することだ。そういうコンセンサスが出来てしまっているように思います。でも、そうすると「LGBT」以外のセクシュアリティの存在が埋もれてしまう。「レインボー」の中ではそういった人々の存在はなかったことにされる。そうならないためには、個々のセクシュアリティのフラッグを掲げなければならない。「レインボーカラー」では、もはや多様性を表現することはできないのではないでしょうか。

 

 ビジネスの面から考えても、「LGBT」というものはLとG(とBとT)を消費者として取り込むためのキーワードになってしまっていると思っています。そして「LGBT」は、消費者になるために、ビジネス面でも「お客さん」として扱われるために、「LGBT」というワードを強調していってしまっている、マジョリティになることに腐心している(という言い方は嫌な感じで申し訳ないんですけど)のではないか。

 

 少し話は変わりますが、LGBT以外のセクシャルマイノリティに配慮した表現ができていますよね。LGBTQIA....とか、LGBTsとか、LGBT+とか。でも結局それって、LGBTという言葉を四つのセクシュアリティを表すものとすることになるだけで、多様性は感じられません。マイノリティの中のマジョリティである「LGBT」の隣に並ぶことが出来るのは誰だ競争みたいなものになっているのではないか。そしてその競争の基準を作るのは、マジョリティである「LGBT」なんじゃないかって考えたことがあって、とても嫌な感じでした。

 

 そんな訳で、わたしは、最近の「レインボー」と「LGBT」という言葉に多様性を感じることは出来ませんし、苦手です。アセクシャルとして「LGBT」から排除される側であるから余計にそう思うのかもしれません。

 

 こういうことを言うのは、本当はやめておこうと思っていました。それはさっきも言ったように、活動に水をさすことになるのではないかとか、そういう風に思っていたからです。とても悩みました。でも、その躊躇いを越えて、わたしは敢えてここで言いたいです。今の「レインボー」と「LGBT」には多様性がないと感じています。アセクシャルであるわたしは、マイノリティの中のマイノリティとして取り残されていると感じています。

わたしは声を上げます。わたしは今の「レインボー」と「LGBT」が嫌いです。タイトルには苦手って書きましたけど、本当は嫌いなんです。

 

 マイノリティが声を上げていく時、マイノリティの中のマイノリティが取り残されてしまうということは、セクシュアリティの分野だけではなく、フェミニズムや、各種権利の主張の際にしばしば起こることです。そのときは、マイノリティの中のマイノリティは声を上げることが必要だと思っています。他の分野においてい、わたしは、マイノリティのなかのマジョリティであることが多かったので、あまり違和感を感じずに運動に参加していました。しかし、セクシュアリティの分野でマイノリティのなかのマイノリティになった今、とても怖いです。みんな、こんな恐怖の中できちんと意見を発していたのだなと思うと、わたしもわたしの考えを表すことが必要なのではないかと思いました。なのでブログに書いています。書きながらも怖いなと思っています。

的はずれな意見かもしれません。偏見や先入観による被害妄想かもしれません。でもわたしは今怖いと感じています。違和感を持っています。

そのことは、声を上げなければ気付いてもらえないと思いました。

 

 冒頭にも書きましたが、わたしはLGBTの運動を否定したいわけではありません。セクシャルマイノリティの歴史と、そこで蓄積されたものを、否定したいわけでもありません。進みたいのです。進んでいきたい。

 

 わたしは今、具体的な運動をしているわけでもないですし、パレードに参加してプラカードを掲げることも出来ません。まだ怖いです。でも、アセクシャルのオフ会を開いたり、違和感を発していくこともひとつのアプローチではないか、と相談にのってもらった方に言っていただきました。嬉しかったです。

その嬉しさを糧に、ブログを書きました。誰かに理解してもらえるといいなと思って。また、わたしと同じ違和感を持つ人がいたら、その人にわたしもそうだよと伝えたくて。

 

 

 わたしは「レインボー」と「LGBT」というアイコン、言葉が嫌いです。

 

 

 

追記

また詳しく書きますが、この記事の中で、中島美嘉さんがおっしゃっている内容が、わたしの不安であり、恐れている未来のひとつです。

http://www.asahi.com/sp/and_M/articles/SDI2017050952061.html

→書きました  http://si0r1.hatenablog.com/entry/2017/05/14/011033

 

追記②

このブログを読んでくださった方の感想が、それだ!というものだったので引用させてもらいました。

 

 

 わたしもそうなんです。 性愛者の人達に囲まれているということが驚きというか、怖いというか、とにかく好きではないです。わたし、電車に乗っているときに、サラリーマンの人が結婚指輪してたり、カップルが話していたりするのを見ると、ああこの空間、この車両の中にいる人はほぼ性愛者なんだなと感じて、鳥肌が立つのです。性愛者が苦手というわけではありませんが、性愛者が自身を性愛者だと主張するなにかを身に着けていたりするのが苦手なのです。そんなわたしにとって、セクシャルマイノリティのイベントに行くことは結構苦痛でした。 

 パレードとかって、こういう性愛者もいるんだよ、ということを表明する場ですから、色んな人達が色んなセクシュアリティを持つことを表現していることは何らおかしなものではないというか、そういう自由が得られる場所ではあると思うのですが、非性愛者であるわたしにとっては、暴力的なまでの「愛」「性愛」で殴られたような気になるのです、というと大げさかもしれませんが。

しかし上記のように、「レインボー」と「LGBT」がLとGとBとTという性愛者(トランスの方の中には非性愛者の方もおられるかもしれませんが)を団結させようというものだと捉えた場合、「レインボー」や「LGBT」は非性愛者を排除するものになっていると考えてしまいます。圧倒的な性愛者の数に押され、肩身が狭い思いをしているというのが正直なところです。あと怖いですし、嫌な気持ちにもなります。恋愛賛美には賛同できないからです(この話もいつか書きます)。

 

そんな感じで、わたしがブログで書かなかったこと、表せなかったことをすっきりと文字にしてくださった方いたので、わー分かる!とおもって追記にしました。

文房具擬人化

なんか平和な擬人化ないかなーと、ふと、文房具とかどうだろう、と思い付いて楽しくなっちゃったのでブログにまとめようと思います。


○鉛筆くん
芯が強いツンデレくん。あるときはHレベルのツンツン強気、あるときは2Bレベルの柔らかでれでれ。そんなツンデレだけど、子供から大人まで色んな人から愛される人気者。

○消しゴムくん
粘り強く、芯も強いけど、ある日いきなりぽっきり折れちゃうメンタル不安定な子。人見知りで、最初はつんつんしちゃうけど、そのうち丸くなってきて、仲良くしてくれる。修正液くんとは志を共にしていてよい仲間同士。修正液くんの弟修正テープくんはちょっとにがて。

○修正液くん
消しゴムくんと仲良し。ちょっと湿っぽいところもあるけど、仕事はよくできる子。弟は修正テープくん。

○修正テープくん
スタイリッシュ。お兄ちゃんとは違って仕事は速いが後からぼろが出る場合も。万年筆くんとは相性が悪い。たまに消しゴムくんや他の筆記具くんたちに削られて悲しんだりしてる。

○万年筆くん
お上品だけどアレルギー体質。鼻がつまったり、鼻水がどばーと出たりするので、いつもティッシュ箱を持ち歩いてる。修正テープくんとは相性が悪い。なんか引っ掛かってうざいと思っている。

○ボールペンくん
とても平凡だけど、いろんなところで確実に仕事をこなす堅実な性格。修正兄弟とは仕事関係でとてもお世話になっている。

○カスタム型多色ボールペンくん
ちゃらい。パートナーをとっかえひっかえしている。相手が細かろうが太かろうがお構い無し、来るもの拒まず去るもの追わずのプレイボーイ。

○消せるボールペンくん
若くて人気者だけど、消しゴムくんや修正兄弟からライバル視されている。学生には人気だが、フォーマルな場所では厄介者扱いされている、若干不憫な子。

○油性ペンくん
仕事を確実にこなす。消せるボールペンくんのことを少し軽んじているところがある。しかし確実すぎて頑固な一面もあり、この人もこの人でちょっと厄介。一回居座ったら退いてくれない。修正兄弟でもフォローしきれないときがある。

○定規くん
背が高くて細身の、ストイックな性格。何事にもまっすぐ向き合うため、いろんなところで重宝されている。三角定規くんなど兄弟が多い。

○糊くん
粘着質。超粘着質。仲人としては最高の働きをしてくれるが、仕事外ではかなりの粘着質さを発し、下手するとストーカーみたいになる。つきあい方を間違えるとちょっと厄介。

○紙くん
どこにでもいる。無垢。糊くんとの相性ばっちりで、よくパートナーとの仲人してもらっている。どんな相手でも仲良くできるスーパー万能な子。

○はさみくん
切れ味がいい、さっぱりした性格。その一方で相手を好きなようにいじくりまわし、自分の好きなようにするのが趣味兼仕事というちょっと変態っぽい一面がある。



など、思い付いたのはこれぐらいです。楽しかった。おわり。