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BL、生活、その他いろいろ

「かわいい」、だからどうした

「かわいい」について、このブログでは過去にも幾つかの記事があり、わたしのなかで長~く考え続けているトピックであるが、ここのところ、また「かわいい」について考え直している。

きっかけは、中国で放送中の、アイドル選抜サバイバル番組「青春有你2」を観たことだ。レッスンの先生に、KPOPアイドルのBLACKPINKリサが参加すると聞き、興味を持っていたら、練習生として、DREAMCATCHERのハンドンとNATUREのオーロラも参戦するとのことで、推しが言語の壁によるハンデなしのステージにチャレンジするぞ!!と興奮して、ネットを介して観た(公式にYouTubeチャンネルがあるのだ)。最初の方だけだけど。

観るのをやめた理由は、「サバイバル」という形式と、「人間の生活を隅々までエンタメとして見せる&観る」のが楽しすぎて怖くなってしんどくなったからだ。実はPRODUCEシリーズも同じ理由でドキュメント部分は全く観ていない。グループ単独の「リアリティー番組」とかも観てない。


まあそれはさておき、でも最初の方は観ていたわけで、そこで頭も心も価値観も、全てをガツンと殴られるような出来事があった。

青春有你2では、所属や経歴、見た目で、放送前から既に話題になっていた人たちがいた。その人たちはそれぞれ、「既存のかわいい」「若い」「アイドル」とは違っていた。なので非常に多様な人々が、多様なアプローチでサバイバルを繰り広げるのかな、と思っていた。
で、事務所別の最初のレベル評価が終わったあと。練習生のなかでも、一際目立つ「イロモノ」組がいた。リーダーシップを取ったのは、frank shangguan。
参考(サムネの人ではないからイントロだけ再生してもらいたい)
youtu.be
ベリーショートで、ばさばさと横に長い睫毛、細い眉、赤いリップ。正直ちょっと怖い。そんな人が、グループのメンバーに語ったのが、「女の子には必ずそれぞれのかわいさがある」「かわいさはひとつではない」「わたしたちがどんな姿であれ、かわいくできる」「かわいさを諦める必要はない」(超意訳)ということだった。自分達に、自分達の「かわいさ」に自信を持てていなかったメンバーは、その言葉にエンパワメントされ、笑顔で練習を始めたのである。frank shangguanさんの強い意思と言葉は、見た目では対極にある他のメンバーの心を動かし、笑顔にした。素晴らしいことである。
しかし、それに対してyu zhangというメンバーは「かわいい?いやいや」みたいなことを言っていた。なんか何を言ってたか忘れちゃったんだけど、忘れるくらいあっさりと「ない」みたいなことを言っていた。

それがびっくりした。そして思った、この人は「かわいい」の枠に入れてもらって、他の「かわいい女の子」と一緒の土俵に上がって評価されることを求めているわけではないんだと。


yu zhangさんは、番組が始まる前、参加が公表されたときに犬みたいって言われたらしい。髪の毛は細かいパーマでもふもふ、化粧っけもなく、目が大きいわけでもない、「かわいいアイドル」とは無縁そうな人だった。
参考 
youtu.be


なんでこの人が「アイドル」に?
と思った。そうして、そこで思い至った。

「かわいいは作れるってわたしは思ってきたけど、かわいいを作ったそのさきに待っているのは『地獄のジャッジ大会』だったよな。かわいいを作らず、『かわいい女の子』と戦う(もしくは連帯する)というのは、どういうことだろうか?そもそも、『かわいいを作る』というのは、全ての人にとってのエンパワメントとして正しかったのだろうか??」



この前ブログで書いたけど、わたしは今「かわいい」から降りかけていて、自由だ。かわいい服は好きだし、身に付けるけど、わたし自身が「かわいい」ではなくなっているようだ。とてもすがすがしい。デブって言われるのがちょっと嬉しいこの頃だ。
しかしだからといって、他の人たちにまで「デブ!」と言っているわけではない。わたしにとっては解放のひとつであった「デブ」という言葉は、一般的には罵詈雑言であり、人を深く傷つける言葉だということは知っている。身に染みて知っているから絶対に言わない。じゃあなんて言うかというと、「かわいい~!!」である。

いや「かわいい~!!!」って、おまえ今、ちょうど今それを言われなくなって嬉しいんだろうよ、なにを思って人に自分が言われたくなくなった言葉をかけているのよと思う。思うがしかし、「デブ」より「かわいい」の方が喜んでくれる人がいる。比較して「かわいい」の方がましかな、とかではなく、「かわいい」が本当に嬉しいとか、そもそも「誉められること」がない、なので比較的毎日工夫しているところ=ルックスを誉めてもらうと嬉しい、という場合があるのだ。

ちょっと前のわたしはそのタイプだった。別に心底から「世界的スーパーモデルになれるくらい身体のどのパーツも整っていてバランスがよく美しいわたし!!!」なんて思ってもいなかったし、なんならコンプレックスだらけであるが、あえて自分を自分で「かわいい」と「誉め直してあげる」「誉めてほしいと他人にも要求する」ことが、自尊心の建て直しや、消化しきれていない幼い頃からの鬱屈、物事に対して消極的にしかなれない自分を「自慢の自分」ぐらいまで持ち上げてあげることに繋がるのだと思っていたから、せっせせっせと自分誉めをしていた。これはこれで楽しいのであるが、次に立ちはだかるのが、「かわいくないとダメなのか」「『かわいい』の定義を広げるということは、血塗れの戦いが繰り広げられている土俵の領域を広げるということでは?」「土俵が広がれば広がるほど、降りられないのでは???」ということだった。



先日も書いたが、わたしは早く「若い女」の土俵から降りたい。デブでいいです。でも楽しく生きてはいきたいし、人生デブなときもあれば痩せてる時もあるのが当たり前だと思うが、その体重の上下に合わせて土俵に乗ったり降りたりを無理矢理させられるのはダルすぎる。はやいとこ楽しく自由にデブでも痩せててもかわいくてもそうでなくても暗示を用いても用いなくても生きていけねえかなあと思っていたのだった。


そんなことをつらつら考えているときに現れたのが、yu zhangさんだ。「かわいい」が評価される土俵に現れた、「かわいい」を求めない、「かわいい」ではない人。他人にも「かわいい」を求めない人。

そしてこの記事にもであってしまった。
高島鈴さんの連載第六回「笑う流浪者、あるいはルッキズムに抗うための破壊」である。
http://www.ele-king.net/columns/regulars/alternatives/006924/

まさに、わたしの考えていた救いと苦しみとの拮抗が表されていた。読んでちょっと泣いた。

で、ここで少し後半を引用したい(引用するが、面白いから全文読んでほしい)。

"見た目が泥でもそれはただの選択肢のうちの一つだ。あなたが存在することに誰一人けちはつけない、誰もが「よい/悪い」のベクトルに進んで乗らねばならないいわれはないのである。"
"汚い格好をしろという意味では全くない。強く切実な覚悟を持って美の世界に身を置く人を否定するものでもない。この社会で生きている限り身の内に溜め込まざるを得ない見た目にまつわる規範と批評とベクトルを、きちんと捨てたいということだ。"


それからぐさっときたのは、能「蝉丸」で、蝉丸の姉である逆髪という「狂った女」を、"理解はしているのだ、ただそこに迎合せず"と表しているところだった。


そう、わたしは、そして周囲の人たちは、「理解はしている」のだと思う。「かわいい」姿であることの、気高さと、惨めさと、苦しさとを。

だからわたしはわたしに「かわいいねこのデブ!」と思うし、自己肯定感アップさせるパーソンとして「○○さん今日もかわいい!!」と言ったりしている。

それがエンパワメントになっている人もいるし、余計な縛りになっている人、逆に誉められたからこそ惨めだったり、コンプレックスになってしまう人もいるだろう。その区別を付けて、わたしは「かわいい!」と言うか言うまいか決めているが、そう、ここでの大きな問題、というか今日のブログの本題ですが、「なんでおまえがかわいいと言う/言わないのジャッジをしてるんだ、何目線?何様???」ということである。


いやもうほんとに、わたしは何様なのか。
わたしに誉められたら嬉しいだろうなって何様なんだ、クソじゃん…でもわたしが素直にかわいいと思ったものをかわいいと口に出すだけで、救われてくれている人がいるなら、わたしが存在する意味もある、が、自分の存在価値を他人のそういった安心や喜びに立脚させてしまっていいのか、他人を揺るがす部分にどっかり座り込んでいいのか、等と思い始めると止まらない。


どうしたらいいのだろうか。
frank shangguanさんならどう言うだろうか。yu zhangさんならどう考えるだろうか。高島鈴さんなら?お三方の年齢は調べてなくて分からないのだが、恐らく20代ではないかと思うので、同じように20数年生きてきて、全く違うスタンスを取った二人と、それを観ていたわたし。20年以上かけてもまだ未熟なこの気持ちを、どう扱えばいいのだろうか。どう扱われたいのだろうか。



「かわいい」、だからどうした。
社会が多様になってきているなかで、ひとつの単語のみでエンパワメントできるはずはない。だからといって、社会の多様性に合わせて言葉の意味を無限に広げていくのも、よくない気がする。どこまで行っても何をしても、ひとつの言葉にからめとられて包み込まれるのもいやだろう。エンパワメントのもとになる言葉を細分化して、沢山作ってみたらどうだろうか?比較できないジャンルから、色んなものをひっぱりだしてきて。

うーん。



ここのところ、悩んでいることである。ほんと。
そしてわたしは何目線?何様なの?というところを非常に気にしていかねばならないと思う。自戒。何かしらの考えが浮かんだらまた書きます。じゃ