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BL、生活、その他いろいろ

恋愛信仰とセクシャルマイノリティの権利獲得は全く違うものだ

先日、このようなツイートを見かけた。


水原希子さんのツイートだった。

正直よくある、「セクシャルマイノリティに理解を示しているようにみせか ける恋愛信者」でしかないと思った。とても陳腐で浅い認識だ。

当事者の中にも、恋愛信者は沢山いる。同性婚賛成、マイノリティにも恋愛感情はあるんだよ。そう主張する人は多い。しけし驚くべきことに、そこに「人権の尊重」という視点が欠けていることがままあるのである。
セクシャルマイノリティのコミュニティに参加したとき、一番驚いたのはそこだった。人権のじの字も知らない人が多すぎる。自分が恋愛できればそれでいいと思っている人が、少なからずいたのだ。

当事者でさえそのようなありさまであるから、非当事者の認識もその程度に過ぎないのかもしれない。
しかし、他のエントリでも何度も言うように、セクシャルマイノリティの問題を「恋愛できるかどうか」という点にだけ注目するのは間違いだ。それはただの「恋愛信仰」による恋愛の推奨でしかなく、もっと根本的な人権問題をスルーしてし、「恋愛」というきらきらしたもので飾り付けただけのものでしかないと感じる。


「あらゆる人が恋愛できますように」。それにこしたことはない。しかし、そこで終わってはいけない。本質が見えていない。ただ、自分の恋愛観を述べているだけにすぎない。そこには、人権という問題意識はないのではないか。


レインボーを掲げて、自由な恋愛を勧める人が増えている。それはよいことなのだと思う。しかし、「レインボー」と「恋愛」を結びつけるだけでは、足りない。自己満足でしかない。セクシャルマイノリティの問題は恋愛だけではない。恋愛をしたいという気持ちだけでマジョリティに受け入れられたって、仕方がない。そこを知らずに、「レインボー」をかかげるのはいかがかと個人的には思っている。


若者の憧れる人からからのメッセージは、大きな影響を及ぼすであろう。セクシャルマイノリティへの理解に繋がるところも多いと思われる。しかし、影響力があるからこそ、「恋愛信者」をふやすだけになってしまうのは、とても残念である