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BL、生活、その他いろいろ

通じない言葉

 あっこりゃ話通じねえな、と思う時がある。相手と意見が正反対だとか、考え方や価値観、持ってる知識の量・内容が全く違うとか、そういう場合も困るのだけど、もっと困るのは、そもそもお互いの日本語が通じない時である。

 

 日本語が通じないといっても、お互い言葉が不自由だとか国語の成績がめちゃくちゃ悪いとかそういうことではなくて、相手の意図を、発言から読み取るときの方法、自分の意志を言葉に表すときのプロセスが決定的に違う、ということだ。

 私は、若い人たちの短くい言葉で行われるコミュニケーションがとても苦手だ。主語が無かったり、「やばい」という言葉が多用されたりするんだけど、そういう場合どういう主語を補完して理解したらいいのか、「やばい」がプラスの意味なのかマイナスの意味なのかが分からず混乱する。コミュニケーション、言葉の選択、感情の表現の仕方というのは、人によってくせがあるので、相手のくせがつかめてないまま省かれた言葉、隠された意図を読み取ることは非常に難しい。私の感覚と相手の感覚は違うわけだから、私の独断と偏見で補完してしまうと痛い目にあうこともある。

 

 そもそも、主語はきっちり入れてよ、曖昧な表現を使うのやめてよ、と思うタイプ。でも、そういったものを気にせずにきた人たちもいて、そういう人達は、そういうことをしなくても自分の意図が相手に通じていたとか、今までのコミュニケーションで不自由を感じなかった(もしくは不自由に気付かなかった)という環境にいたということなんだと思う。なのでその人としては今の表現方法でなんら問題ないのだ。そこがもう私と決定的に違う。このブログを見ても分かるかもしれないが、私の書く文章は長い。ダラダラいろんなことを書いてしまう。自分の思っていることを出来るだけそのまま理解してもらいたいから、読む人が補完しなければならないような文章を書かないよう、意味の隙間をできるだけ潰しておきたいのだ(うまくいってるかどうかは分からないけど)。話すときもそうだ。自分の考えを述べるときはすごく考えて、ダラダラあとから付け足したりしながらしゃべってしまう(なので若者っぽいインスタントなコミュニケーションには向いてなくて、浮く)。しかし、私が言葉を尽くしてたくさんしゃべったと思っていても、通じない時は通じないし、勝手に解釈されてしまう時はされてしまう。どこに意味の隙間を見出すかも、また人によって差があるし、言葉の量は情報の量と比例しない場合もある。

 

 読み取り方の違いに関しては、「文脈」の読み取り方が違う、という言い方をしてもいいかもしれない。こういう表現をしている時相手はこう思っているだろうとか、こういう言葉の後にはこう続くだろうとか、これは照れ隠しだ、これは皮肉だ、嫌味だ、そういうことを読み取るとき、人は会話の文脈から推測していると思う。今まで自分の経験してきたことや、今まで暮らしてきた環境、住んでいる場所、所属している集団、文化、肩書、好きなもの、好きなスタイル、持っている知識に基いて相手の気持を推測し、読む。それらの経験が、そもそもひとによって違うわけだから、推測がうまくできず、話が通じない、話を続けるのが億劫になってしまう、ということもありうる。

 

 そういう人と、どうやってコミュニケーションをとるか。諦めるか、適当に相槌打っておくか、それとも真剣に向き合って話をしようと努力するか。「話の通じない」人に対して、どう接するのか。かなり難しいよなあと思いつつ、こうやって文字で表すことに努力している毎日です。