「女性特有の、共感に満ち、優しく寄り添う」的なコミュニケーション法だって、医療面談のプロにかかれば、共感を示す振る舞いとは何か、威圧感を与える・与えない振る舞いとは何か、どうすれば「柔らかく」伝えられるか、全部理屈で説明されて「お前の面談はここが悪い」って突きつけられるからな…。
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2015, 6月 11
これ、すっごくよく分かるんです。よく言われるんです。「やっぱり女の子は◯◯が得意だね」「女の子はすごいね」とか。これ、自分の努力、私個人の努力をなかったものにされた気がしてすっごく嫌なんですよ!!すごく腹が立つ!!!!!
私は出来ないことや苦手なこと、したくないことが多いです。出来ないことは、努力でカバーしようと思って来ました。一方で、出来ることや得意なこともあります。それは私のいいところです。機会があれば積極的に自慢していきたいくらい。
そういう、何が出来て何が出来ないのか、どれが努力して得たスキルでどれが元々持っていたスキルなのか、というのは、ひとによって違うと思います。私は本を読んだり説明したりっていう文字に係ることがちょっと得意で、人の機嫌をうかがうのが割りと得意です。運動すること、人の気持ちを推し量ること、人と同じでいること、コミュニケーションを取ることが苦手です。あと計画立てたり努力するのも好きじゃないです。
私の苦手なことって、苦手で出来ないままにしておくと社会に出た時わりと困ることが多いんです。コミュニケーションとか特に。なのでものすごく努力して、特訓しないと人並みにはできないと自分では思っているし、人とコミュニケーション取るときは体力と精神力を大量に消費してしまいます。話し方も表情も、仕草とか話の持って行き方も結構人のを見て勉強したりしました。今も、コミュニケーションスキルには自信がないので、つねに勉強しています。
そうやってめちゃくちゃ頑張ってやってるんですよ、それを「女性だから気遣いができていいよね」「女性だから人の気持ちをくみとるのがうまいね」「女は共感力が高いってほんとだね」とかいわれるとてめえ!!!!!!!!!殴るぞ!!!!!!!!!!!!!!っておもうんですよー!!!!!!!
女だから、別に苦労もせず、生まれた時からそのスキルもってるんでしょ?みたいなことですよねこういう発言って。違うわ!努!力!!その努力だって努力してやひねり出したパワー使ってやってるんだよー!!!!
コミュニケーションに関して言えば、練習すればある程度やり方は分かってくるんです。どんな雰囲気の話し方にしたいか、というのもある程度意識して調節できるようになるので、軽いノリの話し方か、しっかり繊細な話し方か、穏やかか威圧的か、そういうレパートリーも増えます。こういう話し方の違いって、どこに意識を向けて聞いたり話たりするのか、相手のどこに注目するかの違いだと思うんです。
なので、「女の人は繊細な話し方をするなあ(自分はちがうけど)」という男性とかがいた場合、それは!お前が!!繊細さへの意識を欠いてるから!!って思うんです!!!私だって最初から無意識に出来たわけじゃないわ!!怒る!!!!!
逆に、女の子なのに珍しいね、男勝りだね、とか言われることもありますが、そういわれるようなスキルを身につけたのも私の努力の結果だし、珍しいとか男性に勝ってるとか、わざわざ男性と比べて評価する必要あるのかよ、そんなの関係なく私のスキルは私のスキルだよってやっぱり怒ります。
普通、人って出来ないことがあっても、努力とか工夫とかテクニックでどうにかカバーしてなんとなくやっていくじゃないですか。それを私もしてるんですよ。そこに女らしさとか男らしさとか関係ないはずなんだけど、なんでかそこに入り込んできて私のスキルとか努力にケチつけようとするんですよね。出来ないことがあったら、どうにか出来る範囲でやってみようかなとおもうところを、「らしさ」が関わると出来なくても異性がやることだしいっか、もしくは出来ないと性別的に無能だ、となってしまう。当たり前にできているように見えるけど、なにかしら努力があったかもしれない、と想像することが、「らしさ」が関わると出来なくなってしまう。おかしくないですか。普通に評価してほしいんですけど。
私がもりもり努力していたのは、元々女らしさから逃げるためでした。私の育った環境では、男の子が優遇されていて、私は女だからって理由で理不尽な評価を受けたりいやな思いをしていたので、それが悔しくて、私も男の子に負けないようになろう、性別をこえるだけの力をつけよう、と思って努力したんです。なのにその結果得られたスキルをまた「女らしさ」に押し戻されてしまうのって、ものすごく虚しいですよ。ばかみたいだなと思うんです。自分の努力はなんなんだよって。
努力は人を裏切らないとか、努力は自信につながるとかあんなん嘘ですよ。私にとっては嘘になるんですよ。嘘になる環境があるんですよ。
私の努力で得たスキルは私のものだって思えるようになるのは、結構難しいです。私は自信はなかったけど、プライドだけはとんでもなく高かったので、早い段階で私がすごいのは私がすごいからだ!!!私がお前より出来るのは私がすごいから!!!女だからじゃない!!!!って切れちゃったんですけど、そこから変なプライドで防御しなくても自分の努力とか能力を認めて、褒めてあげられるようになったのって結構最近です。
「おんならしさ」って、つくづく面倒だと思います。女らしいこと(世間で女らしさに分類されているもの)自体は、全然悪くないんですよ。それに有無を言わせずよくわかんない意味をくっつけられたり、強制力とかが伴ったり、自分にしっくりくる選択をするとき邪魔になったりするから嫌なんです。
なにか行為や性質を「おんならしい」と分類することは、女性がすべきことや、女性がやっていいことの範囲を決めることなのです。「おとこらしい」と分類することは、その行為や性質を女性から引き離して、してはならないもの、手の届かないものにしてしまうことです。男性にとっての「おとこらしさ」「おんならしさ」も同じだと思います。
この「らしさ」の区別を越えるのは結構大変で、すっごく努力して(もしくは努力せずに)越えたとしても、結局その行為は「らしさ」という枠に押し込められてしまうということが、現状ではしばしばあることです。そんなこと繰り返しされたら、諦めたくもなりますよ。どうしようもないんだって思うことになる。
でも、自分の努力を認めてもらえないとか、能力に勝手な制限を付けられるとか、ほんと最悪じゃないですか。最悪すぎてやっぱり受け入れられないし耐えられないし諦めきれないです。
もうほんとにこのことに関しては怒りを抑えられなくて、毎回そういうことを言われた時は異議あり!大変不満だ!ふざけんな!表出ろ!って思うんですよ。思うだけで口にはできないんですけど(言えればいいんですけど)。女らしいねって、男性だけでなくて女性にも言われるんですよね。めんどくさーい。最近で一番いらいらしてるのは、なにかにつけ女子力ってやつで片付けられることが多いってことす。なーにが女子力じゃ!女子とかって大ざっぱにまとめるなよ!それは私の努力!私が持ってるスキルだよ!