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BL、生活、その他いろいろ

HeForSheの感想

マ・ワトソンの国連でのスピーチを読んだ。


私たちは性の不平等を終わらせたいのです。そのためには、一人一人の参加が不可欠なのです | Emma Watson


エマ・ワトソンが挑戦する“新しいフェミニズム”の取り組み [via: UN Women 2014] - 備忘録√y

大体似たような訳だけど、受ける印象がちょっとだけ違ったからふたつ載せておきます。

 

 

とても素晴らしいスピーチだと言われていたし、私もすごい!と思った。だけど少し引っかかった。

このスピーチに対して思ったことは、ざっくり2つある。

1つ目は、「男性もまたジェンダー規範にとらわれ、不平等を被っている」「男性と女性の意識は相互に関係しているから、どちらか一方だけの働きかけではどちらの不平等も解消できない」という主張が世界的になされたのはすごいということ。

2つ目は、このスピーチはとても男性に配慮された(配慮されすぎた)ものであるということ。

 

1つ目についてはエマのスピーチで具体例も挙げて説明されているからそっちを読むと分かりやすいと思う。

 

2つ目について。エマは、スピーチの中で、フェミニズムは男性嫌悪であるとか、フェミニストは攻撃的だという風潮変えたい、と言っている。(私はそれを、フェミニズムと男性は対立するものでも、憎みあうものでもない、という意味だと思った。)そのあとに、フェミニズムは男性にも関係しているし、男性もまたフェミニズムの運動に参加することで受けられる恩恵がある、と続けている。自分のことや、自分の父親、男性の友人の例を上げ、とても分かりやすく、穏やかな口調で語られる内容は、確かにフェミニズムは男性を嫌っていないし、攻撃的でもない、ということが伝わってくるものだったと思う。

そして、すごく、男性に気を遣った内容だったと思う。

 

今回の「HeForShe」というアクションについて、そのHP(He For She)を見に行くと、今までの男女平等は女性のために、女性によってなされてきたが、男性も、女性が直面する不平等に立ち向かい始めている今、両性が一緒に活動する連帯運動としてHeForSheがある、みたいな感じのことが書いてある。

おそらく「連帯」がキーワードになっている。

 

今までは女性が運動を先導していた。だけどこれから、男性を苦しめる問題の解決も含め、本当の平等を実現するためは男性もその運動に参加する必要がある。というのは色んな所で言われていることだとだと思う。そこでの問題は、男性は参加してくれないどころか、フェミニズムという言葉やフェミニストが忌み嫌われてしまっていることだ、というのも分かる。参加してもらうために、まず運動参加の間口を広げたり、フェミニストという言葉の印象を変えたり、というのも、とても効果的だし、そういうのをエマ・ワトソンという人がやってくれたのも、世界的な活動として行ってくれたのも、すごいと思う。

そういう意味で、あのスピーチは全人類に向けたものだった。今までフェミニズムに(自覚的であれ無自覚であれ)関心があった人たちの中で、女性の中で、あのスピーチを聞いて勇気をもらった人も多いと思う。確かにそう思う。だけど、結構、男性よりのスピーチであったようにも思う。あのスピーチの目的は、女性と男性に呼びかけるのではなく、男性に呼びかけ、呼びこむことだったのではないか、と思うくらい男性に優しいものだと思った。

別にそれが悪いことだというのではないんだけど。もしかしたら、今までのフェミニズムにはそういう語りかけみたいなものが足りなかったのかもしれない。

だけど、なんか接待っぽいなーという気持ちは拭えなかったし、そういう接待スピーチになったこととか、接待が喜んで?受け入れられたこととか、このレベルから始めないといけない現状って....ちょっとげんなりしたところはあった。

フェミニズムは学問としてすら受け入れられることはないのか、というようなことも思った。

 

 ところで、私はあのスピーチを、男性に配慮したとってもまろやかなものだと感じたんだけど、あのスピーチですら忌み嫌う男性がいるらしいと聞いて驚いた。ものすごく優しくされているのに、気づいてないんだろうか。脅迫したり、売春婦呼ばわりしてる人もいると聞いたが、信じられない。正直言って、これほど甘やかされてるのに何が気に食わないんだ、と思う。内容に異議があるとかそういうのなら全然問題ないし、異論も批判も当然出てくるだろうと思う。だけど、ネットで出ているものはそういうものではない。

現状、男性もまたジェンダー規範に縛られ、苦労をしている部分があると思う。その点については本当に改善されるべきだ。だけど一方で、ジェンダー規範によって得をしている部分ももちろんあるし、それは長らく指摘もされてきた。無自覚に(もしくは自覚的に)それに頼って生きているのに、甘やかされてるのに、と思うところもある。しかしあのスピーチは、そういうところを非難・指摘するのではなく、苦しみに寄り添う形だった。共感や寄り添う姿勢というのは、問題解決するときにわりと大事だと思うけど、そういう態度で話すこと、問題に対処することはとても大変だし、誰も彼もがおいそれと出来ることではない。貴重なことだと思う。それなのに!非常に配慮されていることにすら気づかず、その態度とは!と思ったのである。

甘やかされているといっても、実際求められていることは甘くない。求められている変化は、よくも悪くも生活を大きく変えると思う。実行しようとしたとき、足がすくむこともあるし、つらいことも出てくると思う。覚悟が必要になる。これは男女関係なく、みんなに。覚悟の大きさや、得るもの、手放すものの種類や多さは違うかもしれないけど。だから、この活動に抵抗を感じたとか、疑ってしまうとかいうのは、フェミニズムに触れてこなかった人にとっては特に、おかしいことではないんだと思う。

ただ、ネットでの罵詈雑言を見るに、こういった反応とは別なんだろうと感じた。何を言われても気に喰わないんだろう。何かを女性から言われること自体がむかつくという男性、誹謗中傷が正当なものとして受け入れられると当たり前に思っている男性がまだまだ存在するのだろう。

そういった人達に対して、フェミニストは「優しく」する説明してあげる労力を払わねばならないのだろうか。わかりあいたくない、対話をしたくないということではない。分かりあいたいし、対話したい。しかし、現状そこにたどり着くまでの道程は長く、それに費やされる女性の労力は大きすぎる。男性に理解を示してもらった!と喜び、男性を尊敬する雰囲気がある時点で、もういろいろなものが偏りすぎている。

 

 

ところで、Twitterからの引用だが、こういうツイートがあった。

 

 エマのスピーチに希望を見出したと同時に、疑問や絶望も顕になってしまった。でも、あのスピーチが読まれ、話題になることで、いい方向に変わることもあると思う。すごい運動が始まったのかもしれないと思っている。そう願っている。