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BL、生活、その他いろいろ

わたしのファッションが人を抑圧しているかもしれない

わたしはフェミニンな格好が好きだ。流行にもほいほい乗っかる。その時かわいいと思ったものは買う、着る。コスメも集めている。アクセサリーも大好き。ヒールもはくし、爪も塗るし、髪の毛も長くて、巻き巻きするのが好きである。

そうやってファッションを楽しむ自分が、わたしは割りと好きである。
しかし、こういったわたしの行動が、他人を抑圧しているのではないかと感じるときもある。

昔。おしゃれをすることが恥ずかしかった。わたしみたいなブスが、色気付くみたいで恥ずかしい。キラキラした人たちとは同じになれない。そんなわたしは女としてダメだ。そう、劣等感を感じていたことがあった。
これは、女=化粧をすべき、という前提を信じ込んでいたからだった。化粧をして、綺麗にしていなくてはいけないという思い込みがあった。その思い込みは、わたしを不自由にした。

今では、ファッションは「楽しむもの」だと思っているから、わたしが「ブス」だろうとなんだろうがどうでもいい。楽しく過ごせることが大事だ。そう思えるから、化粧ができない日があっても気にしない。
でも、昔のわたしは「化粧ができない」自分はダメなんだと思っていた。化粧をする資格すら持っていないと思っていた。

化粧をして、キラキラしている人を見て、そう思っていた。


今。わたしは、「化粧ができないのはダメだ」と思わせる側に立っていないだろうか?
たまに思う。


息苦しいことに、世の中ではおしゃれ、特に化粧は女性にとって「しなくてはならないもの」になっているのが現状である。それが「当たり前」で、「最低条件」っていってもいいぐらいかもしれない。
そんな中で、「おしゃれをする」という行為が持つ意味というのは、どのようなものだろうか。

わたしも、その「当たり前」を当たり前だと思っていますよ、という意思表明に見えてしまっていないだろうか?


というか、実際そうなっているっぽい。わたしの格好は、おしゃれや、化粧をしない人、好まない人に対して、「これが当たり前なのに、何故しないの?」というメッセージを発してしまっているようだ。そう言われたことがある。めちゃくちゃショックだった。
人を抑圧している。自分が!
過去の自分が苦しんできた抑圧を、今のわたしは他人に押し付けてしまっているという事実に、震えた。

わたしはわたしの好きなことをしているだけ、では済まなかった。

いや、このことにわたしが罪悪感を持つのもおかしいことではある。だってわたしは悪くない。好きなことをしているだけだ。悪いのは、世の中の「当たり前」を押し付ける姿勢のせい。わたしはそんなことしようと思ったこともない。勘違いされて、怒ったっていいかもしれないくらいだ。
しかし、わたしが悪くないからって、そんな意図はなかったからって、「当たり前」に加担してない、と言い切ることはできるだろうか?人を抑圧する存在ではないと、人の苦しみを無視してもいいのだろうか?


出掛ける準備をしながら、このことについて考えることがある。
今日のこの服装はかわいい。満足。化粧もうまくいった。いいかんじ。この気持ちはわたしにとって大切なものである。見た目くらい好きにさせてくれよと、わたしはわたしの好きなことをしていいじゃないかと、そう思ってないとやってられないときの救いになる、大事な満足感、自己肯定感の一つだ。
それはいい。ただ問題は、自分を肯定するこの格好が、他者を否定するものになる可能性があるということだ。

わたしは今から、他者を否定しながら歩くことになる、かもしれない。そういう考えが頭をよぎるときもある。


どうしたらいいのか。
「これは趣味なんです」と言い続けるくらいしか、今のわたしには考え付かないので、できるだけそう言っているけど、伝わってないときも多いと思う。どうしたらいいのか。

ものすごく正直なところ、面倒だ。
わたしが好きだからやってるって、それだけでことが済まない世の中が悪い。なんでいちいち自分の装いは趣味であり、モテを意識してるわけでもなく、化粧等はしてもしなくてもよいものだと言って回らなければならないのだ、とあるものを好んでしまったからといって。

あ~めんどうだ。
しかしだからといって化粧をやめる気はないし、やめることが正解だとも思わないから、わたしは言い続けるしかないのだと思う。誤解されたくないなら、現状を変えたいなら、主張し続けないといけないのだ。

化粧してる人達に、これは当たり前じゃないですよと。していない人達にも、これは当たり前じゃないんですよと。
そしてお互い、お互いのスタイルは尊重されるものだということも忘れずに伝えなければならない。


抑圧から解放されたい。昔のわたしみたいに、抑圧によって悲しい思いをする人がいなくなればいい。それから、抑圧する側に立つ(ことになってしまっている)人たちもまた、抑圧されているのだなあと感じるから、そっち側の抑圧からも解放されたい。
……と書くと、昔と今のわたしが全然逆の存在に読めてしまいそうだけど、今と昔は地続きで、抑圧の原因は同じだし、今のわたしの中に昔のわたしもいる。昔のわたしの劣等感が、今もわたしを苦しめるときがある。

おしゃれするにしろしないにしろ、そこにある苦しみは同じ原因から発するものだと思う。その苦しみを、わたしも知っている。おしゃれする/しないは、女性を分断しない。同じ苦しみを抱えているのだと、そういうことも伝えていきたい。



わたしのファッションが人を抑圧しているかもしれない。ならば、その抑圧を解体していくしかない。どうやったらいいのか、まだ正しそうな答えは出ない、難しいことだけど。