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BL、生活、その他いろいろ

愛は依存にしかならないのか

2015/6/17に書いた下書きに加筆修正したものです

 

 以前、同じ年頃の女の子たちに恋バナしよう!と誘われて、各々のタイプの人について話したんですが、私は(アセクシャルを自覚していた頃だったんですが)「恋人になるとかならないとかは関係なく、話をきちんと聞いてくれる人がいい、きちんと聞いて、理解して、必要なら話し合う姿勢を持っている人がいい」と言ったら、「包容力のあるタイプだねー!」って言われて、エエ―!?ってなったっていう経験があるんですけど。

 

 私としては、対等でありたいっていう意味合いで話してたつもりだったんです。話してる途中で変なアドバイスをしてこない、けなしてこない、とかそういうのがいいって話をしていたんだけど、それを「包容力」って表しちゃうのは、なんなの!あくまで私が話すことを「聞いてあげる」「望むように聞いてあげる」「包み込んであげる」男の人っていう風にとられたんだろうか、ってずーっともやもやすることになった経験です。だって包み込んであげるって、包むって、私が相手よりちっちゃかったり、相手が私よりキャパが大きくないと出来ないじゃないですか、私は別にそんなこと望んでないんだけど....

 

 ずーっと、人と付き合うときは対等でいたい、守られたいわけじゃない、大人が子どもに接するように、守られて、養われて、手加減されて、かわいがられて教えられる側でいたいわけじゃないって思ってきました。だけど、どうしたって女性を守られる側、男性を護る側にしてしまう価値観がある。私は、私が困ってる時は相手に支えて守ってもらえたらありがたいと思うけど、別に一方的にしてほしいわけじゃなくて、相手が困ってる時は私が支えて守ってあげたいし、その支えあいって、相互に同時に行えるものだとも思うのです。別にこれって恋人同士だけの話じゃなくて、親子間でも兄弟間でも友達間でも、こういう支えあいってあるとおもうんですけど、恋人ってなると、なんでか二人の間に立場の差ができて、守る側守られる側になるの!?ってびっくりしたのです。

 

 そもそも、自分の何かを相手に預けることって結構勇気のいることです。この人になら預けていいかな、って考えるとき、自分のことを下に見てくる人を相手に選ぶの?って思います。ちょっと話がずれちゃうかもしれないんですけど、私彼氏が彼女の荷物やかばんを持ってあげてるのがちょっと信じられなくて、わたしだったら絶対嫌だって思うんです。だって、出かけるとき、かばんに何入れよう、重くないかな、かばんと洋服は合ってるかな、この重さだったらこの靴をはこう、とか考えるじゃないですか。そうやって鞄の重さくらいちゃんとコントロールできる大人に対して、「かばん重そうだし持ってあげようか」はなくないですか!私はない!!あと財布とか入ってるものを他人には渡さない!どれだけ親しい仲でも、大事なものを預ける相手に選ぶかどうかとは別です。何を預けて何を預けないのか、考えるのは私です。それは、私が生きていく上で、人と付き合っていく上で、とても大切なことだから、しっかり考えることです。恋人になったからって、なんでもかんでも預けるわけないじゃないですか!なんで自分が全部預かれると思うの!

 

全てを預けてしまうというのは、依存です。その人がいないと生きていけなくなる。生きていく上で大切なモノを人にあげちゃうから、自分一人では生きていけなくなる。

そうしないと、人は恋人同士になれないんだろうか、そういう風に思ってしまうような価値観を感じる時があります。

 

 これを読んで、すっきりしました。別ですよね。わたしはそれが言いたかった!個人の尊前を委ねることは、依存になりませんか?その人がいなければ自分は自分ではありえないし、自分が自分であることを、他人にコントロールされるのって、恐ろしい。しかし、それが恋人同士なら許される。むしろ積極的に、そのような依存関係になってしまう。何故だろう。

 なんでなんだろう。愛は、恋愛は、依存関係になってしまうものなのだろうか。