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BL、生活、その他いろいろ

俺の話を聞け

 2015/9/27に書いた下書きに加筆修正したものです。

 

という歌があった。ドラマの主題歌だったような。

 

 正直知らんがなというかんじである。なんで命令されてんの、みたいな。

前回のエントリ(かわいい人には「かわいい」って言っちゃうんだけど)で、後半に言いたかったことはこれだった。「全ての人の気持ちや話の全てを無条件で聞いて上げる必要も、受け止めてあげる必要もない」。「俺の話を聞け」「俺の意見を受け止めろ」と言われても嫌だったら断ったらいいのだと思うし、放っておいたらいいと思う。

 

 私はおしゃべりが割と好きだ。どうでもいいことでもしゃべっていられる。しゃべるだけじゃなくて、なにかを表現して人に伝えてみたいなあという気持ちもある。ブログをやってるくらいだし。私の話を聞いて、一緒におしゃべりしてくれたら嬉しいし、ブログを見てもらって、なにかを感じてもらえたら嬉しい。でも、別におしゃべりに付き合ってもらわなくても、読んでもらわなくても全然構わない。いや、全然というと嘘なんだけど、そもそも付き合ってもらうのが当たり前というものではないしと思っている。特にブログに関してはそうだ。ブログでは双方向のコミュニケーションを求めてはいない。求めているのは、承認だという自覚がある。できれば読んでもらいたい、反応してもらいたい。ネットを通じて、画面の向こうの、見ず知らずの人たちに。認められたい。

 

 でもそんな欲求には応えなくて良いんですよね。わたしと読者の人は他人で、他人の言うことを聞いて(読んで)、何かを考えなくてもいいし、反応する必要もないです。他人の意見を聞いて反応するのって、結構負担かかりませんか?その負担を、見ず知らずの他人のために追ってあげるのって、大変だと思います。

 「◯◯という意見を聞いて欲しい」という欲求、「◯◯という褒め言葉」をポジティブに捉えるべきだという「常識」、そんなもんは、もし自分が嫌なら放っておいて良いんだと思います。

  人からの意見に反応することを求められる。その意見が自分にプラスになることであっても、逆にマイナスになることであっても、別にそれに応えてあげなくったって良いんですよね。その視点がすっぽり抜けていたのが、わたしの「かわいい」という言葉だったんだなと思います。

 

 別に聞かなくてもいいです。スルーしてもいいし、怒ってもいいし、そもそも聞かないということも、大事なんだと思います。