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BL、生活、その他いろいろ

ふりふりの服を処分してしまった

 近シンプルな服を着ることが多くなったので、数年前に買ったふりふりのワンピースとかがタンスの肥やしになっていた。とても好きな服だったし、自分にとって少し値段の高いものを頑張って買ったという思い出のある服ばかりだったら、捨てるのも嫌だなあと思いながらも、結局ずっと着ないままだったので、思い切って人にもらってもらうことにした。

 

 新品というわけでもないから、気軽な仲の女の子にもらってもらうのがいいかなと思って親戚をあたってみたけど、年下の従姉妹たちはふりふりが好きではなかったので、母に頼んで、知り合いの方の娘さんとかで服を引き取ってくれる人がいないか探してもらった。

 

 そしたら、母の同僚の女性がもらってくれるということになった。

ちょっと驚いたのは、その方が母と同い年かそれより上の方だったということだった。私の服は、高校生とか大学生向けのブランドの、ふりふりレースだったり、ロリイタちっくなものだったし、きっともらってくれる人は高校生くらいの人だろうなと思っていたので、予想外の方から声をかけてもらってびっくりした。

その方は、以前から母の話によく出てくる人で、自分と同じ年代なのに若い格好をしていていて、だけどそれが無理なく似合う、おしゃれな人だと聞いていたので、だからもらってもらえたのかと納得もしつつ、若い格好ってそんなにまで若い格好だったのかー!と驚きつつ、とにかく引き取ってくれる人が見つかってよかったなーと思いながら服をお渡しした。母によると、渡した中に普段好んで着ておられるブランドのものがあったようで、とても喜んでもらえたらしい。

 

 わたしが今回引き取ってもらったような服を着なくなったのは、年齢的にどうなのかなあという気持ちが芽生えてきたからだった。ふりふりした服を着ていた時期も、老け顔のわたしにはあんまり似合ってないんだろうなあと感じていたし、歳を経るごとにそういった違和感は増していって、服と年齢のギャップを埋める努力するのも面倒だな、もう無理があるんだなと諦めて、人に譲ろうと決めた。今の歳でもこんなに違和感を感じるのだから、手放しちゃったらもうこの先着ることはないだろうと思うと残念で、ずっと躊躇っていたけどあげてしまった。

 

 だけど、服をもらってくれた方が年上の方で、年齢とか関係なく、好きな服を着ているのを見て、私もまた将来、こういう服を着るときがあるのかもしれないなと思ったら、なんだか楽しくなってきた。トレンドも移り変わっていくし、すべての年代の人がレースもりもりの服を着るときがくるかもしれない。そうでなくても、自分が好きな服があったら、その時の自分が好きなように着ればいいのかな、自分にあった着方をすればいいのかなと思った。若い人向けだからといって、若い着方をしなくてもいいんだし。

 

 そういえばこの前、久しぶりにSHOW-YAを見た。それで、わたしは昔SHOW-YAにあこがれていたんだったということを思い出した。職業だからとはいえ、時が経ってもずっと変わらないファッションをしているのがとてもかっこいいと思っていて、わたしもそうなりたいと思ってたんだった。知らないうちに、年齢が...とかって後ろめたさのようなものを感じるようになってしまっていたな、いつからそういう風に考えるようになったのかな、と不思議になった。

 同年代の人たちが、家庭が、子どもが、仕事がどうこうという話をしはじめるようになって、なんだか時間と年齢に追われているような気持ちになっていたのかもしれない。私も早く、年相応にならなくては、人並みに追いつかなければならない、という気持ちに。周りの人が当たり前のようにクリアしていっている人生のステップを、わたしは後から遅れてたどっているので、それをコンプレックスに思い、なんだかひどく焦ったりせかされたりする時がある。

私だけじゃなくて、きっと殆どの人がなにかしらに追われて急かされて生きているんだと思うんだけど、ただでさえそういう世界なんだから、服装とか、自分の好きなことくらいに関しては、ゆっくり自分のペースで、行ったり来たりもしつつ、やっていけたらいいなと思った。

 

 その人に服をもらってもらえてよかったと思う。