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BL、生活、その他いろいろ

暴力ってそんなに気軽に振るえないじゃんという話

雑記

 最近ニュースで、殴ったりけったりして男性を殺害した、というのをやっていますが、ああいうのを見ると、人が死ぬくらいまで殴ったり蹴ったりってなかなか出来ないよ!って思っています。人が死ぬまで殴る気合?根気?やる気?はどこから来てるんだろうとか、やっぱり暴力って人にいうことを聞かせるときに効果的だと思われてるんだろうなとか、殴ること自体への躊躇いの有無やハードルの高さって、人によって違うんだろうなとか考えながら見ています。

このニュースに限らず、人が死に至るまで暴力を振るう人や、暴力によって相手が苦しむのを見ても平気いられたり、楽しんだりする人の存在を知ると、怖いと思うとともに、少し不思議な気持ちにもなります。暴力を気軽に使って生きている人、普段は使わないけど別に抵抗はない人、暴力を暴力だと認識していない人、暴力がものすごく身近な人もいるし、逆に全然かかわりなく暮らす人も、嫌悪する人も、恐怖する人もいるんでしょう。何がこんな差に繫がるのか不思議だ、と思うのです。

 

 

 個人的な話になるんですが、私の暴力に関する印象的な体験というのは2つあって、その1つ目は小さいころ父親に暴力を振るわれたというもの、2つ目は幼稚園の頃私が弟のお腹を思いっきり踏みつけたというものです。1つ目の経験から感じたのは、暴力って理不尽で、人を支配するためのものだということと、その理不尽さと支配力は互いに影響しあっていて、効果がとても大きいということです。結局ちからがモノをいうから、暴力が存在するのはあたりまえだと思っていました。

 なので、小さい頃は頭にきたらはすぐ手が出る足が出る物を投げる、というふうでした。言葉で伝えるより妥協しあうより暴力をふるうほうが簡単です。うちは兄弟仲が悪かったので、わたしと弟はすぐ喧嘩してすぐ殴りあったりしてあざをつくって、みたいな感じだったんですが、そういう時に2つ目の体験をしました。その時もちょっとしたことで叩いたり髪の毛引っ張ったりの喧嘩が起きて、弟が床に倒れ込んだ時に、怒りに任せてお腹を思いっきり踏んづけた(か、蹴りつけた)んですが、その時に母親に、「お腹は本当に危険な場所だ、内臓に傷ついたり破裂とかしたら死ぬこともあるよ」「この子死ぬかもしれないよ、なんてことするの」と怒られて、めちゃくちゃびびった記憶があります。その頃は常に弟なんて死んでしまえばいいと思っていたくらい憎んでいたし、その時も腹が立っていて死ねとか罵ってたと思うんですが、いざ弟が苦しんで泣いているのを目にして、母親にもうすぐ死ぬかもよ、って言われたら本当に怖くなって、母の脅しかもしれないと分かっていても血の気が引いた、あの感覚を今でも覚えています。

 

 結局弟はなんでもなかったんですけど、それ以来暴力をふるうことを躊躇うようになった、というか、人間ってちょっとしたことで死ぬのかも!と思うようになりました。いらっとして、こいつを力の限りぼこぼこにしてやりたい!殺してやりたい!暴力のちからで黙らせてやりたい!と思ったとしても、いやでもその結果どうなるだろう?当たりどころが悪かったら、思いもしない場所にあたったら、想定外のアクシデントが起きたら、と考えだすと、怖くなってちょっと躊躇ったり、投げるものを辞書からクッションに代えようかな・・・とか、もうやめておこう、とか思うようになったんです。

 

 元々、死そのものへの恐怖も強かったということもあって、「暴力をふるうこと」が「死につながるかもしれない」という想像は、どれだけ頭に血が上っていてもずっと頭の隅にあります。この想像は、頭を冷やす力も怒りを沈める力もないけど、硬いものを持った手をひとまず下ろそうとか、相手から距離を取ろうかとか、そういうことを思うくらいの力があります。

 

  そんなわけで、わたしは暴力で人を傷つけることはものすごく怖いです。人間って案外かんたんに死ぬじゃないですか。医学の知識とかないので詳しいことは分かんないですけど、でも人間の体ってそれなりに丁寧に扱わないとすぐ大なり小なり壊れるように思うし、多分これってあながち間違ってないんじゃないか、と思って暮らしています。

 

 暴力振るいたくなる衝動は今でもあります。やっぱり暴力は、誰でも簡単に使えるパワーだし、簡単なくせに人への影響力が強いし、効果的で便利なものです。人の言うことを聞かせたいとき、一番簡単で時間もかからなくて頭も気も使わなくて済む、なんなら快感も得られるだろうから、暴力の誘惑というのはきっとものすごく強い。私の場合はその魅力とか手軽さよりも恐怖の方が勝る、というふうになる環境でそういう考えに繫がる経験したから、できない、ということになるんだと思います。

 

 その恐怖を無視して、想像する以上の後悔と罪悪感への覚悟がない限り、なかなか暴力とかって振るえないです。だから逆に殴ったりして人を殺すということが出来るのはすごいというか、暴力を肯定する意味のすごいではなく、私とはまったく違う、私には想像することすらできない何かがあるのかな、その差はなんなんだろう、という風に思います。だって怖くないですか、人を殴るのとか。その結果相手が死んだりしたら怖いどころの話じゃないじゃない。殺すまで行かなくとも、人が泣いたり苦しむを受け止めたり、無視したり、楽しんだりもできないし、暴力って全然気軽じゃないじゃん、って思います。