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BL、生活、その他いろいろ

怒りの瞬発力

 なことに嫌!と言うのは難しいです。

 

 例えば「そういうのってなんかガサツで女性っぽくないよね(笑)男ウケしないよ~」って言われた時、私はすごく嫌なんですが、言われてすぐはきっと、苦笑いしたりとか、ひどいですよ~(笑)って言ったりとかして流しちゃうんですよね。Twitterではこういうこと言うのはセクハラだ、失礼だ、っていうツイートが流れていて、私もそれを見ながらそうだよね!そんなの怒って当然!って思っていても、実際言われたら大したことない日常として流してしまう。

 

 後からそのことを思い出して、完全にあいつは判断する側で私は見下されてた、あのときああやって言い返せばよかった、なんであんなこと言われないといけないんだふざけやがって、とか色々悔しくなったりイライラしたり絶望したりして二、三日、(ひどければ一週間)くらいモヤモヤしたりするんですけど。

ああいうのって、言った本人にしてみれば、きっとなんということもなく自然に口から出た言葉で、悪意とかもないんでしょうね。後から「このまえ言われたことなんですけど」って掘り返してみても、「えっそんなこと言ったっけ?そういえば言ったかも・・・」程度に思われてたり。私はあんなに悩んで悲しくてしんどかったのに!!恨む!!

 

 そうやって過ごしてきて思うのは、嫌なことを言われた時には、その場でそれ嫌です、っていう姿勢を取らないといけないな、ということです。そうじゃないと、そのことは何事も無く忘れられてしまうし、あの人にはこれくらいのことは言ってもいいとか、こういうの平気な人だ、とか、どんどん誤解されて仲間みたいに思われて、ますます怒りづらい環境になっていく。

 

・・・・と思うだけなら簡単なのです。これは理想で実際にはなかなか出来ないことです。

 私はこれに怒っているけど、世間一般では怒るべきことだと認識されていない・浸透していないことについて何かを言う時って、咄嗟にどう言ったらいいのか分からない。例えば「デブ」とか「ハゲ」とかいう言葉の場合、体の特徴を言ってるんじゃなくて、馬鹿にしてんだろ!というのが経験上分かってるし、言い返すときの内容も、他の人が過去に使ってきた言い回しとか、こう言えばいいのではっていう備えができている。既に誰かがその言葉を言われて、それに対して怒ってきたっていう積み重ねがあるから、あの言葉を使うと怒られるということ、あの言葉には怒っていいということがある程度共通認識としてある思っています。だけど、私がいつも嫌だなあって思ってることは、体の反射で怒れるほど「怒りの対象」として浸透していないし、おそらく怒られた側も、何故怒られたのか分からないって場合もある。

 (私が日常であっ嫌だなって思うことは、大体フェミニズムジェンダーセクシュアリティ関係です。今までいなかったことにされてきた分、存在そのものを分かってもらえてなかったりして難しい。)

 

 相手に分かってもらえるように怒ろう、と思うと更に怒ることは難しくなっていきます。反射で正しく分かりやすく怒れるのってすっごく難しい。今までにそのことについて怒っている人を見たことがあれば、それを参考にしたりできるけど、そういう経験がなければ自分一人で考えて言わないといけない。どんな反応が返ってくるのかも分からない。

それに、相手は軽い気持ちで、雑談のつもりで言っていたりすると、きちんとした答えを返す時間ももらえないかもしれない。それに何より、怒ってしまったその後、私はその人と、更にはその人の周り、その人と関わっている場所で今まで通り上手くやっていけるのか・・・・・?

 

 この「怒った後」問題は、ものすごく重大だと思っています。さっきの「デブ・ハゲ」のことだって、どれだけダメなことだと浸透してて、どれだけ素晴らしい反論が出来上がっていたとしても、反論できない環境で暮らしていたら意味ない。言い返しても分かってもらえないかもしれない、気まずくなるかもしれない、というのはまだましな方で、会社で疎まれて冷遇されるかもしれない、殴られるかもしれない、いじめられるかも・・・・と考えると、もう、もうですよ。そうやって怖くなって、何も言えなくなって、我慢して、おしまいになる。

 

 最近、都議会でのヤジ問題が話題になってますよね。ヤジを受けた塩村さんが声を上げたこと、見ていて本当にすごいなと思いました。「結婚しろ」というのは、私の身近でもよくある、怒るに怒れない嫌なことの一つです。善意で言ってくる人たちも多いから尚更困る。例のヤジは流石に善意からとは言いがたいものでしたが、「それは駄目です」「謝ってください」って言うのはとても大変。言った都議が悪者だ!って風潮になっていたとしても、やはり大変だった(そして今も大変)と思います。実際塩村さんに対する誹謗中傷は多かったし、何が悪いのか全然分かってない人や、むしろ塩村さんが悪いという人も沢山いました。怒ることは正しいけど、やり方が悪いとか、過去のことをほじくり返してきて揚げ足を取る人もいた。

 

 あのときの周囲の反応は、もし私達が現実で、自分たちの生きてる場所で、塩村さんと同じように怒った時に、私達に向けられるものと変わらないのだろうと思います。

分かってもらえない側は、いつも、ずっと、過去から未来まで正しくあって、怒られてる人を納得させるだけの説得力を持って、不快にしたりせずに穏やかでいなければいけない。感情的になってぎゃー!って怒るのはダメ。そうじゃないと、怒ったことを怒られる。不利益が出る。そういった場面を見た経験は少なくないし、そのたびに積もり積もった絶望と悲しみは、今と将来の私の怒りを雁字搦めにして、なかったことにする方を選択させる。

 

 怒るのって、すごくエネルギーが要るんですよね。その場で瞬間的にワッて怒るのにも勿論エネルギーがいるけど、その後の周りへの対応や、一度怒ったことには一貫して怒り続けることも必要とされて、とても大変。なんか一つのことだけ一人についてだけに怒りたかったのになんで他の諸々のことにも悩まないといけないんだよ~も~って思い続けてある日突然エネルギー不足でぱたっと倒れちゃうこともなくはない。けれどもぱたっと倒れてしまった瞬間に分かってもらえない側の怒りは見えなくなってなかったことにされちゃうから、怒り続けないといけない。終わりの見えない長い道のりに辟易してぐったりすることもある。

 私は怒ることがしんどくなってきちゃってて、出来るだけ嫌な出来事には遭わないよう避けて避けて生きているんですが、Twitterとかを見てるとやっぱりあるんですよね、嫌なこと。うええって思うんですけど、それに対して怒り続けてくれる人たちもいて、そういう人たちの存在はとても心強くて、本当にすごいなって思っています。その人たちの発言に諸手を上げて賛同できなくても、怒っている人がいるというのがまずありがたいのです。最初に言ったように、何かに怒っていた人がいる、というのは大切なことで、その人達の怒りの蓄積が、別の人の怒りの足場になることもあるんだ、と私は思っています。自分自身だけでパッと怒れる力を鍛えていくのも大事といえば大事だけど、その力を発揮するためには、周りがその怒りを後押ししたり受け入れられるようになることが大事なんですよね。きっとそういう場を作ることのほうが大変なんですけど。

 

 今回の塩村さんの件みたいに、怒りが拾われて、話題になることって珍しいんだと思うんですが、それでもなんだか希望があるのかなという気もしてきています。いつか嫌だなって思ったことにはすぐさま嫌だ!ひとまず嫌だからやめろ!って怒れるようになる日がくるかな、どうかな。