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BL、生活、その他いろいろ

雑記

わいくなりてえ、と思う時がある。割とある。可愛くなりたい、ではなくて、かわいくなりてえ、と思う。しかししかし、かわいくなりてえって、具体的に一体どうなりたいのかよく分からない。イメージがない。なんとなく。私がなりたいのは、雑誌やテレビで言われてるような「かわいい」ではないのかもしれない....?

 

かわいくなりてえと思うのは、朝着替えて化粧をしてる時。電車の窓に死にそうな顔した自分を見つけた時、買い物に行った時。顔色が悪い。眠そう。目がない。そもそも化粧なんか面倒くさくてしたくない。着替えながら、体のバランス悪いしウエストから股間まで長いから、ミニスカート履くとすぐ尻が見えるな・・・・と思う。着るものによって肩幅が余計に広く見えたり、顔が余計大きく見えたり死んだような色に見える。背中とデコルテのニキビと痕が汚くて盛大に落ち込む。大きく電車の中で、顔色も目つきも機嫌も悪いの丸わかりな自分と目が合う。すごいなで肩になってて、かばんずり落ちそうなのを見つける。直したはずの寝ぐせが復活してるのが見える。買い物に行って、好みの服を着てみたら丈が足りない。似合わない。靴が履けない。なんかしにたい!

 

私の体ってとても不便じゃないか??私が私の体であるせいで余計なことに気を使って余計なことまでしなくちゃならなくて、そのくせしたいことはできないし結局うまくいかなくて嫌になってコンプレックスこじらせてる気がする!ここであああかわいくなりてえ、とおもうのです。

 

自分の体の形・バランスのせいで、生まれてくる不便さとか、うまくいかなさとか、つらさとか、そういうものをなくしたい。朝化粧しなくてもいいくらいの顔色になりたい。アイライン引かなくてもマスカラしなくてもいい目になりたい。胴短くなりたい。せめて標準的な長さになりたい。足も体の半分かそれ以上はほしい。手は洋服の丈足りるくらいになりたい。顔小さくなりたい。せめて大きくなくなりたい。肩幅も洋服を着るときにじゃまにならない程度の幅になりたい。足も24センチ以下になりたい。足の幅ももう少し狭くしたい。肌キレイになりたい。なりたい!!!!!

 

自分磨きがしたいとか、もてたいとか、人より優れたいとか、なんかそういうんじゃないような気がする。だから可愛くなりたい♡ではない。そもそも磨いたからといって不便さが消えるわけではない。物理的にいらないところ磨いたり削ぎ落としたりできるなら、したいけど。

 かわいいとかかわいくないとか、そういうのは気の持ちよう、という考え方もある。分かる。でも、履ける靴がどこにもないっていうのは、気の持ちようではどうにもならない。

 

あと見た目に自信がないとしんどいときもある。何かした時に、ダメだった時に、バカにされた時に、見た目が原因ではないと思えるだけの自信がほしい。あの人達がわらってるのが自分のことではないって思えるくらいには。神経尖らせなくて済むように、何も気にせずいられるように。自分の顔色の悪さに、気持ちが引きずられるのもしんどい。元気なときは元気な顔でいたいのに、それが出来ない自分を大目に見てあげられなくてしんどい。こっちは気の持ちよう、で改善するんだと思うけど、長年のコンプレックスを気持ちだけで解消させるのは難しい。

大学生になってから、可愛い洋服を、好きなように好きなだけ着ることで、気持ちを上向きにすることを覚えた。自分を飾り立ててかわいくすることは楽しいけど、たまに疲れる。気持ちが服に、服に見た目が、見た目に気持ちが付いていかない時がある。かわいくあろうと気を配り続けることに嫌気がさすこともある。かわいいは疲れる。

 

私のかわいくなりてえ、は、かわいくなりたい、という言葉の持つ辞書的な意味とはちょっと違うのかもしれない。楽に、気を抜いて生きたい。自分を肯定してみたい。そんな感じなのかも。